高齢化を踏まえた都市の在り方として、生活のしやすさが重要視される。
近所で買い物ができる、水道ガス電気などのインフラが行き届いている、交通の便がいいなどだ。
また、行政側からの見方として、広範囲に点々と住まわれると、コスパが非常に悪く、局所集中でサービスを展開できた方が、財源も有効に使える、というのもある。
住民側も、いざという時に何の助けもない状態というのは心もとないし、常に孤立という恐怖と隣り合わせが続くことになる。
そんなわけで、古き良き、を残したい気持ちがある一方で、それを維持していけない現状もあり、当事者の方々のジレンマは大きいだろうなと感じる。
特に少子高齢化も手伝って、限界集落というのが増えているし、廃集落となったところもある。
ドライブ動画をよく見るが、廃集落の話はよく出るし、現在の住民が高齢者数人などという集落もある。
これは、人間という存在の持つ性質なのかも知れないが、そういった集落や、そこに根付く伝統を残さないといけない!と思い立つには、一定の経験と人格の成熟が必要で、つまり年齢も、一定以上になって初めて本気で向き合うことになるのではないか。
一方で、やはりインフラ、住みやすさの程度が低いことから、そのような場所に住む、という決意には、今度は年齢からくるためらいがあるだろうと感じる。
それでは、と、順番を変えてまずはインフラを整備し、それから住民を呼び込もうとするにしても、整備にかける金がない。補助、助成に頼ろうとしても、それを支出する行政側としては、同じ費用をかけるなら、集落の復興維持よりも、集落に残る住民が他都市に引っ越すことに喜んでお金を出すのではないか。
集落がひとつ廃されることで、公共交通の維持、道路の整備といった費用が不要になるし、民間でも、電線の維持、郵便の配達、プロパンガスの配達も不要になる。
残念ながら、金銭的な損得だけで判断するのであれば、廃してしまうのが一番の解決策なのだろう。
集落の本当の発展には、若い世代が根付くのが一番よいのが明らかだが、それも人間の性質上、なかなか難しい。
現代の発展した通信機器などで、一人で自宅にいても楽しめることは増えたが、バーチャルではカバーできないリアルがある限り、土地に人を結びつけるのは難しい。
このように淘汰され、利便性の高い都市に生きる場所が集約されていくと、日本は将来、都市国家が乱立するような見た目になるのだろうか。
無人の荒野の中に、都市がポツンポツンとある。
都市ひとつが国家というわけではないので、ポリスのようにはならないだろうけれども、都市外の荒野は行政サービスの届かない場所になるので、当然、治安の低下、自然災害などの危険度は増すだろう。
国防上の問題も出てくるんじゃないか。
そうなると、日本列島には、コロニーのように都市と軍事拠点が点在する景色になる。
赤字地方ローカル線の存続問題の情報に触れて、そんなことを考えました。