今週のお題「手帳」
私の勤める会社では、毎年、社員に手帳を配布する。
まだ始まって5年かそこらのことだが、先ほどの年末も、また来年度用の手帳が配布された。
内容はシンプルで、会社の社訓とか、日々の業務心得とか、それら業務の達成度を記録するページ。その他、カレンダー、タスクリストと、あとはひたすらメモ帳。
サイズ感もさほど悪くなく、使い勝手は悪くないと思う。強いて言うなら、綴じ方がちょっと難ありか。もう少しベタッと開くとなお良いのだが。
この手帳の配布は、前社長が始めたことだ。
グループ企業と言う、実質的な子会社である私の会社は、社長はいわゆる「天下り」で、前社長もそんな一人であったが、そんな中でも前社長は「大物の天下り」であった。
せいぜい部長さんが最後の腰掛けに使うわが社の社長職だったが、その人は実質親会社の、専務取締役だった。
兼務時期には、専務用レクサスの運転手が日がな1日、駐車場で暇そうにしていたものだ。
そんな前社長は、それでもそれなりに使命を帯びていたらしく、うちの会社の立て直しに着手した。
各営業所に足繁く訪れ、叱咤激励し(9割が叱咤だが)、会議では常に怒鳴りつつも、サラリーマンとしての持論を展開していた。
もともとは、鬼専務として親会社でも恐れられていた人だが、私も初対面でいきなり怒鳴られたのは印象深い。
そんな前社長が始めたことのひとつが、社員に手帳を配る、ということだった。
子会社の現場叩き上げ社員や管理者は、皆、揃って手帳を持たずに勤務していた。個人的に持っていた人もいたが、私も例に漏れず、手帳は持ち歩くのが面倒で、買ってもいつの間にか引き出しにしまったままになっていた(代わりにスマホを手帳代わりにしていたが)。
前社長は、基礎を大切にしていた。必要な所は怒鳴ったりしながら繰り返し説明し、時にはまず形から入り、形から意味をわからせていく。
手帳を使う、持ち歩く、というのは、その「形」だった。
社員の実務ではないが大事なところ。そういう部分の底上げを考えていたのではないか、と私は思う。
初対面から怒鳴られ、いつも怒られていた私だが、そんな中でも色々、目をかけてくれたとは思う。
私が隣県の現場責任者になり赴任した時も、問題の多い営業所だっただけに、私を遣る、という判断と不安からか、月に一度は叱咤しにきた。
たいした実績を残せなかった私が、また本社に戻った時、ほぼ入れ違いで退職された。
最後はやることもなく、ひたすら保有している自社株のことを気にしていたのが懐かしい。
そんな、なんとなく思い入れのある、わが社の手帳。
相変わらず使いこなすことができず、いまだにGoogleカレンダーやテキストアプリで凌いでいるが、持ち歩く癖は、なんとか身についてきた。