自分で言うのもあれですが、欲が薄いです。
メリットとしては、競合することが少ないので、余計な軋轢を生まずに済みます。
デメリットとしては、諦めが早いことです。諦めてしまうので、努力をしなくなります。
自分なりのきっかけがありました。
小学生の頃、海に旅行に行った時、レンタルでシュノーケルがあったんです。水中メガネに空気のクダがついたあれですね。
親はレンタルしようと言ったのですが、私は嫌だった。自分だけのが欲しかったからです。
結局、親も私も折れず、シュノーケル自体を楽しむことはなかったのですが、あの一件が、私に諦めを覚えさせる転機になったと思います。
それほどまでにシュノーケルをしたかった、という記憶はありません。ただ、それ以来、強く物を欲すると、手に入らなかった時の落胆を想定し、早々に諦めて自分が傷付かないようにする。そんなやり方を学んだ気がします。
このカラクリは、様々な場面で顔を出します。物欲以外のことでも、諦めることで、予め手に入れないことで、これが元々なのだ、と。
なので、私は努力をしない人になった。そんな気がします。
何をもって努力とするかは、それを見る他人の評価によります。
なので、一概に私が全く努力をしない人かというと、そういうわけでもないらしいです。
ただ、自分のための努力、目先のことではない努力は、しなくなった。
仕事でガムシャラになることは出来ても、プライベートで何かにがつんと打ち込むことが出来なくなった。
仕事にガムシャラになることは、自分のためになることでもあるとは思いますが、主観的には努力をしていないので、恥じ入るばかりで、結局はきっかけも掴まず、要は世渡り下手も露呈したと言えます。
ま、こんな話も、自分から言い出したら「言い訳」になりますので、このぐらいにしておきますが、自分のターニングポイントに至ることができたことは、ひとつ、収穫かな、と思うわけです。
ただし。
これからの世の中は、ますます努力が物を言う時代だと思います。
私自身が、無難に社会のスミッコで現役時代を駆け抜けるには、少し年齢が足りない。
努力が出来るよう自己改革するための何かを見つけるための努力をまずはする、という、千里の道も一歩から、風が吹けば桶屋が儲かる、みたいなことから始めないといけないなと。そう思うには至るわけです。