kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

愚痴のような短文。

私の人生において、というと大袈裟ですが、この2年、いや3年が、今までで一番、停滞している時期だと思います。

 

ふと、親父が今の自分と同年代だった頃を思い出すと、バリバリにやっていたなぁ、と。

 

それに引き換え、私は、雑務をちょっとやって、そそくさと帰る日々です。

 

 

耐える、とか、努力するなどの行動は、主観的なものではありますが、その内容は様々です。

 

勉強してみたり、とにかく動いてみたり、という努力は、見た目にもわかりやすいですが、じっと耐える、というのもまた、ひとつの努力だと、私は思っています。

 

三国志劉備の「髀肉の嘆」などは、じっと耐える努力の代表的な例だと思うのですが、あれも、耐えた後に飛躍があったからこその故事成語であって、そのまま埋没していけば、ただの「怠惰なオジサン」という評価だったのでしょう。

 

 

私の場合は、このあと何かの変化があったとしても、劉備ほどの飛躍があるわけではなく、一会社員という範疇での話ですから比べるのもおこがましいわけですが、それにしても今のままでは名実共に「怠惰なオジサン」です。

 

年齢やスキルからすると、最近流行りの転職を考えるよりは、今の会社でなんとか生き残っていく方向に舵を取るべきですが、では社内の違うポジションだったらまたハツラツと働けるのか、というと、ピンと来ない自分がおります。

 

 

この歳で、こういうことを考える環境になるとは思っていなかったので、なんかこう、人生における居心地が良くないような、そんな気分です。

弱気も「気」から。