新型コロナが、五類感染症に引き下げられる、というニュースがありますね。
医療の逼迫とか、経済活動の停滞とか、色々と、症状そのものとはまた別の悪影響などもあり、五類への引き下げが良いのか悪いのか、は、正しく、過不足なく情報を得て分析すべきことでしょう。
ただ。
これって、新型コロナとの戦いに、勝った、と言える話ではない、という印象があります。
勝ち負けの問題ではないんでしょうけど、あえて勝ち負けで言うなら、負けに近い気がします。
今まで、複数年にわたり耐えてきたことが、うやむやになってしまうような、そんなモヤモヤが残ります。
実生活レベルで考えれば、引き下げられたほうが束縛は少なくなりますから、楽にはなるのでしょうし、それを歓迎したい気持ちはあります。
でも。
この数年の間に、ヒトは、慣習としてマスクを常時するものだ、と記憶した幼児もいるでしょう。人生のほとんどを、マスク着用で生きている子どもがいる。
修学旅行や学校行事を奪われた小中高生もいるし、結婚式などの人生の大きなメモリアルを奪われた人達もいる。
そんな、多くの人が思い出や感情を奪われたこの戦いの結末が、なんだかとても尻切れトンボのような、どこか気持ちがスッキリ晴れない、そんな気分です。
冒頭で書いたように、様々な角度から考えなきゃいけないことなんで、五類引き下げ自体には、あれこれ言える立場じゃありません。
ただ、戦いに勝って、この感染症を克服して引き下げるのではない、ということは、意識しておいたほうがいいのかな、と。
雰囲気作りも、必要だと思うんですけどね。
特に今は、そういうパフォーマンスが不得手というか、説得力が皆無というか、そういう方、ないしは方々が主導をしていますからね。
マスクひとつ、着用するのかしないのかすら曖昧にしか言わないですから、なんか、このノリの延長線上にある五類引き下げ、という印象が強いです。
掘り下げたら何も返事出来ないのではないか、ただ一部の声に迎合しているだけなのではないか、そんな印象が、何よりも気持ちをスッキリさせてくれない。そんな気がします。
日本人の気質からすると、一定数の方はこんな曖昧な言い方じゃ、マスクを外さないでしょう。
日本は、感染ウイルスを含む空気のほかに、読まなければいけない空気というのも蔓延している国ですからね。実害があるかないか、とは別次元の要素があるわけで。
日本人が、安心して「マスクなしの生活」に戻れるのは、もしかしたら、五類引き下げよりもずっと後のことになるかもしれない。そんな気すらしてくるのです。