人は念を発し、その念は、念が発する対象にまとわりつき、色々と影響を与えるという。
念が発する理由も様々で、わかりやすく恨みであったり、嫉妬、羨望、愛情など、様々であるらしい。
そして、これは、場合により生霊とも言われる。
と、いうような事を過去に聞きかじり、とはいえ、この念というものも、悪いことばかりではなく、うまく扱えば、成功を呼び込む存在にもなると思っている。
例えば、大きな成功を収めた人というのは、良くも悪くも、そこには執着があることが多い。そして、成功者が必ずしも人格者とは限らないのも、こういう所が影響しているよう気も、しないでもない。
私は、諦めが早く、良くも悪くも執着が少ない人間なので、念の発生回数は少ないかもしれないが、発生する念はそのぶん、自分にプラスになる類のものではないと思っている。
というより、子どもの頃に、執念深いというか、根に持つタイプの自分に気付くきっかけがあり、それを捨て去る、もしくは減らす努力をしてきた結果、諦めの早い人間になった、という感じだ。
話を戻す。
そんなわけで、多くの場合は、よくない方向に念は作用すると思うのだが、念の多さ、強さは、その人の生まれ持った身体的特徴のようなもので、悪気があるわけではないのは、なんとなくわかる。
こういう方面から考えると、私の、いわゆる配偶者は、念が多いし、強いと思う。
まぁ、それはわかっていて結婚したし、私の持つ、諦めの境地で中和できればよいなぁ、と考えていたが、そんな私のささやかな執念もあっさり吹き飛ばされるぐらい、念が強い類だと思う。
彼女の人生を見るに、彼女自身が発する念が、本人を苦しめたり、窮地に追いやっているのが、外側からだとよくわかる。
彼女も、私の諭す言葉なのか個人的な悟りなのか、そういう体質がよろしくない、という事は思っているらしいのだが、なんにせよ、念がポンポンと生まれてしまうので、本人も持て余しているような感じだ。
帰宅して、職場の愚痴を言う。
よくある光景ではあるものの、聞き手である私まで、毒気にあてられてしまい、不快な気持ちに包まれる。
私自身も仕事して帰ってきているのに、モヤッとしたものを押し付けられ、根拠のない不快感に苛まれ、疲れてしまう。
その後、本人は酒をかっくらって寝てしまうのだが、私は少しクールダウンしないとならない。
文字にするとよくある話だが、それこそが念であり、念の威力だと思う。
それが念だと気付かないぐらい、身近に浸透しているもの。つまり、万人が、毎日毎分、生み出しているものなのだ。
というのは私の持論でしかないので、詳しくは専門家にお尋ねください。
人は多分、それが念だと気付かずにいるだけで、身近に念を感じている。科学的な証明ができないだけで、そういう力学を、体感で知っている。
科学的でない、というのは、科学が否定したのではなく、科学をもって証明出来ていないことなのだろう。
これも持論であり、うかつにもそういうことに興味を持ってしまったら、専門家の意見を確認してください。