kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

ほめるとか。

子どもの頃と大人になってからでは、ほめられる機会やタイミングは違い、やはり大人になってからは、そういう機会はぐっと減ります。

 

いや、子どもだから絶対にほめてもらえる、というわけではないですので、ほめられたことなく生きてきた、という方がいても不思議ではありませんし、例えば一番身近で、一番たくさんほめてくれるであろう親からでも、そういう経験がない人はたくさんいらっしゃるのだと思います。

 

ただ、子どもは、ほめることによる成長の促進というか、育成の要素があるのだと思いますから、社会常識、社会通念として、教育、育児の一環として、ほめるシーンは多いんじゃないかと。

 

 

ただ、大人というのは本質的には子どもの延長という一面があると思いますので、大人であっても、ほめられることで何かの成長や覚醒につながることはあるんじゃなかろうか。

 

ほめられたことのない子どもが自分を否定してしまうように、大人もほめられずにいると自信を失っていき、こわくて何も出来なくなってしまいます。

 

 

ほめることやほめられることの本質、ほめられるべき言動や結果というものを知り、自らほめる、ということが出来たり、ほめてもらえる環境を作ることが、大人になるということかもしれません。

 

そういう環境や考え方が完成していない人間は、大人になりきれていない子どもだと、言ってもいいし、それは悪いことばかりでもなく。

 

大人になり、自分の居場所を作ってしまうと、そのまま安定したくなる人が多いと思いますので、そのような安住の場所を得ないでもがき続ける人は、居場所を得る時には、相当の高みにいるんじゃないかと思います。

 

仕事や何かについて、学び修練することは努力で、それが結実すれば居場所や喜びを感じ得ますが、自信を持てずに、目に見えぬ恐怖と戦うこともまた、修練であり努力だと思うのです。

 

 

お酒飲んでいるので、まとまりのない文章ですいません。