人の思いや世論などが、極端に走る時、危ういな、と思います。
結局はどこかで気付いて戻ってくるのでしょうけど、常に、そういう世論がないかどうか、そこに自分も乗せられてはいないだろうか、と、マメにチェックする必要があります。
古くは、戦前、戦中の話も、そんなひとつなのかもしれません。国をあげてひとつの方向にベクトルを向けて行く、というのは、それが意図的なものかもしれないにせよ、まぁ極点に走っていると言えるでしょう。
バブルもそうなんですかね。好景気、不動産投資に華が咲き乱れ、頭がいいはずの人達が雰囲気に呑まれ、当然の懸念もかき消されてしまったように聞こえます。
お客様は神様だ、というのも、一世を風靡した、というと語弊がありますが、当たり前にあった空気感だったと思います。今は、客は客であり、人間である、という風潮が増えてきましたね。カスハラって言うんでしたっけね。そんな言葉も生まれました。
その他にも、グローバルという言葉が流行った頃には、とにかく海外留学、みたいな風潮でしたしね。海外大好き、日本サイテーみたいな感がありました。これはどうですかね、以前ほど聞かなくなった感じがするのは、僕の年齢の問題なのかもしれませんが、世界的に見て、日本の立場がどんどん低くなっていることも原因である気がします。もう、そこまで余裕のある国じゃないのでしょう。
まぁ、そんな感じで、極点に世論が触れると危ういと思いますし、そのうち揺り戻しがあって落ち着くのも確かです。
さて。
今はどうでしょうか。極端に走っている世論はないでしょうか。
少なくとも僕のところに喧しく聞こえてくるのは、老後問題です。
これからの日本は高齢化社会なので、様々な意味での老後問題がありますが、お金絡みの話はやはりよく聞こえてきます。
老後二千万円問題、なんてのもありましたね。他にも、年金は頼りにならないから自分で貯めないといけない、とか。もはや銀行の低金利では、貯金しておくだけじゃ資産が目減りするから自分で増やすなり稼がないといけないとか。
今の小学校などでは、子ども達から「将来の夢」とか「なりたい職業」を聞くようなカリキュラムは残っているのでしょうか。
なんか、働くとは金を稼ぐことである、みたいな感じで、とにかく金を稼ぐには、増やすには、というのが前面に来ていて、夢とか職業的な希望とかが二の次になっていたりしないか心配です。
だって、大人の世界では、専らそんな話ですもん。転職も、スキルアップも、全てはお金のため、収入のためであり、その仕事をしたいから、というニュアンスは、あまり聞こえてきませんよね。
そんな大人が育てる子どもです。偏りには気をつける必要があるかもしれません。
いわゆる、危機感からの「金が全て」論ですが、これもまたいつか、揺り戻しがあって落ち着くのでしょうか。
僕のような人間には、息苦しくて仕方ありません。