尊敬できる、人格者なんだろうなぁ、と思う人がいます。
思う、というのは、つまりは想像の範疇で、接したことがないから、その本質は確かめていない、ということです。
その方は僕よりも年齢が上で、たしか、人生の節目を迎えられたと思います。
ネット上でお見かけする程度の関係で、接点はほとんどありませんが、それでも、その人の書き込みなどから、すごいなぁ、と思わせる要素がたくさんある人です。
尊敬する要素のひとつに、仕事へのプロ意識というか、真摯に仕事へ打ち込まれていた努力の積み重ねが、自信や人格などに表れているな、と感じるのです。
どのような仕事であれ、どっぷりと浸かっていれば、蓄積される知識やスキル、ノウハウというものがあります。
それらをしっかりと身につけ、自信を持って仕事に向き合っていると感じますし、職場から頼られている、という印象です。
その自信や経験から出る言葉も多いんだろうなぁ、と。
振り返って自分を見つめますと、対極にいるのが自分だなぁ、と思います。
今の自分に、職場で得た知識やスキル、ノウハウなんてないなぁ、と。
そういうものが必要ない職場であるとも言えます。
例えば、コンビニで店員として仕事をすれば、コンビニ店員としてのスキルが身につきますので、勤務する店舗を変えても、ローカルなこと、例えば物が置かれている場所や内部的な事務手続きなどは無知から始めますが、店員としての在り方はわかっています。
これがいわゆる経験者優遇、というやつであり、ノウハウであるわけですね。
身も蓋もない言い方をすれば、つぶしが利くか利かないか、ということでもあるわけなのですが、僕の職場は、つぶしの利く経験は得られません。
つぶしか効かない、ということは、他の会社さんでは通用しませんので、先々の安定を考えるなら、今の職場で必要とされ続ける必要があります。
そういう意味で、自分には誇れるスキル、ノウハウがないなぁ、と。つまり、誰とでも代替が出来てしまうので、必要とされ続けるのは難しく、もう少し年齢が上がってポンコツになってきたら、下の世代と交代させられるでしょう。
話がそれましたが。
尊敬できるその人は、その意味合いでも、しっかり必要とされるスキルやノウハウを身につけ、また、職場から必要とされていることが自覚できているんだろうなぁ、と思うわけです。
なので、そのような方に、自分のこれからの生き方を相談したり、助言がいただきたいなぁ、と妄想することがありますが、実際にお会いしたら、おそらくは一笑に付されるか、呆れられるか、でしょう。
まぁ、今の自分というのは、過去の自分が作り上げます。だから、今の僕が苦しもうが嘆こうが、それは一定の要素を除き、自分のせいでしかないわけですからね。
一定の要素とは、いわゆる◯◯ガチャ、と言われるような、先天的な環境とかですかね。
そんなわけで。
ただ、そのように思える人をみつける、というのは、良いことなんだと思います。
せめて、指標と言うか、あるべき姿を見せていただけているのですからね。
そこへ到達するか、は自分次第になりますが、なんせ僕が積み重ねてきたものが少なすぎて、ちょっとした踏み台で二階、三階へ上ろうとしているようなものです。