kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

またぼやき。

うーむ。

 

やはり、気になってしまう。

 

このところ、何度か立て続けにスピリチュアル要素のお話をしましたが、今日もその続きです。興味ない方には申し訳ございません。

 

 

僕が配偶者を観察し続け、対処を考え、試してきたこと。

 

もともとは、スピリチュアルとかは関係なく、単に彼女がとても生き辛さを感じていた事がきっかけです。

 

まして、出会う直前、それから出会って少しした頃に、激しく不幸なことがあり、いよいよ、この女性は生きる事を諦めるんじゃないか、と心配したことで、私が他者にカウンセリングを求めたのがキッカケでした。話が重たすぎて、無知な私では方向を誤りかねない、と、けっこう本気で危惧したからです。

 

私が探したのは、辛いことを吐き出し、受け止めて、認めてくれて、寄り添ってくれる。心理学とか、メンタルケアとか、そういう方面のカウンセリングです。

 

今日の本題ではないので、そのへんの遍歴などはまたの機会に書くとして、紆余曲折を経て、辿り着いたのがスピリチュアルであり、これという手応えを感じたのもスピリチュアルだった、というのが、私がスピリチュアルを肯定する主たる要因です。まぁ興味は子供の頃からありましたけども。

 

なので、彼女の人生も、スピリチュアル的な面からもう一度整理してみないとならないとも思いましたし、現に、そういう角度から見つめ直すと見えてくることもあったような気がします。

 

 

で。

 

冒頭の「気になってしまう」に戻りますが、いま気になっていることは、先日ブログにも書いた事象が、そこはかとなく“あの頃”に類似しているな、と思うからです。

 

あの頃も今回も、内容はその都度違いますが、それらの出来事を、同じ法則で割り算すると、だいたい同じ流れが浮かび上がってくるのです。

 

まず、前回も書いたように、きっかけが些細であること。

 

そして、それが想定もしない大きなトラブルや揉め事に発展すること。

 

そして、そのせいで、滅多にはないチャンスを逃すとか、よほどじゃないと逃さないだろうことを逃す、みたいな結果になります。

 

そして、それでさらに落ち込んだり、やさぐれてりして、ますます不幸を呼び込む、みたいな連鎖になっていきます。

 

 

それが、憑いていたモノが離れたということになってからは、確かになくなったと感じておりました。

 

が、どうもここ一週間ほど、あの頃のような不安がよぎってしまうのです。

 

 

今日は、職場で嫌なことがあったようでプリプリイライラしていました。で、それを私にぶちまけている最中、帰宅途中に寄ったクリニックの診察券を失くしたことに気付く。

 

失せ物は、本人の自覚の問題でもあります。だから、ただ失くしただけなら、別にいつものおっちょこちょいだ、で終わるんですが、そのクリニックで来週火曜に、ちょっとした大きな治療というか、施術を受けるのです。タイミングとしても、失くした物が良くない。

 

診察券がなくとも施術は受けられるでしょうが、クリニックの診察券を失くす、という事実が、あまりよくない未来を暗示しているように感じてしまいますね。

 

この嫌な流れを引きずると、これはまさに「チャンスを逃す」という結果に繋がってしまうのではないか。それは即ち、来週の施術を指しているのではないか。なにせ、あの頃の法則と流れが類似しているのです。観察してきた僕には、そんな不安がよぎってしまうのです。

 

 

今はそういう、スピリチュアル的なカウンセリングは受けていないので、念のために事前にカウンセリングを受けておく、ということは、少なくとも今からでは出来ません。

 

出来ることは、なるべく自己対処で、憑いているモノを落とす努力になります。

 

お風呂に入って洗い流すとか、お香を炊いて空気を浄化するとか、そのぐらいしか出来ないですけどね。彼女が白檀好きなのも、こういう体質からかもしれません。

 

あとは、たんなる僕の取越苦労、ということも充分に考えられます。なんせ私にそういう能力は皆無です。

 

なので、とにかく僕自身もなるべく慎み、負の感覚を発生させない、持ち帰らない、という意識でいたいと思ってはおります。

たしか、お酒も良いんでしたっけ?(都合のよい解釈)