よく見るYou Tubeチャンネルの方々が、手相を観てもらう、という動画があった。
よく、スピリチュアル系統の話を出す自分ですが、そういえば手相ってのは、観てもらったことがないな、と気付きました。
なお、手相に関しては、「みる」にどういう漢字を当てるべきなのかわからず、この文章内では「観る」にしています。
知識がない中で話を進めますが、手相は変わる、というのはよく聞きます。
ということは、手相というのは、占いというよりは、予測とか、推測とか、そういう類に近いのかもしれません。
手相には、今や過去は記されているのだと仮定すれば、それらをベースに、先々を想定する、ということは出来るのかもしれません。
また、人間のシックスセンスを信じるのなら、頭では認識していない先々の予兆などが、身体的に表現されているのかもしれません。
つまり、手相は変わる、というより、手相そのものを本人が常に作り続けているのだから、そりゃ変わりもするでしょうよ、という理屈。
例えば、人間は足を痛めると、自然とそこをかばって他の場所、反対の足や腰などが痛くなる、なんてことがあります。
整体師の方々は、怪我などからそういう「痛みの原因」を突き止めることが出来る。
同じように人間のシックスセンスも、ある程度、こう来たらこう、みたいな「人間共通の表れ方」があり、それがよく聞く「手相の見方」みたいことなのかなぁ、と。
ただ、この線はこういう意味、という原則がわかっても、それだけで手相を観ることが出来ないのは、そこにその人オリジナルの背景や事情を加味しないと真の原因や解決に行き当たらないということなのでしょう。
だから手相で過去や今を見て、体が発する予兆を見て、どういう未来が推測されるかを考える。
左手と右手でまた意味が変わるとも聞きます。
先天的と後天的、なんて聞きますが、そういうのを踏まえなくても、左右の手を見比べてみると、けっこう、線の入り方が違います。
それだけでも面白いし、そこに独自の解釈で何かしらの理由付けをしていくのも、妄想センスが刺激されて楽しかったりする。
一度、ちゃんと観てもらってもいいな、と思ってみたりもします。