kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

芸術とAI。

人間にとって、芸術、アートというのは、切っても切れないというか、存在の原点というか、とにかく、大事なものだと思っています。

 

音楽、絵画、彫刻、言葉、文章、料理、近代からは写真などもそうです。もちろん、他にもあります。

 

純粋に上手とか、テクニカルであればよい、というものでもなく、個性とか、らしさとか、そういった要素もまた、芸術には欠かせないのだと思います。

 

 

ですが。

 

人の脳を模したコンピュータープログラムが、いよいよ芸術の分野まで進出しています。

 

この領域は、さすがに生身の人間でないと無理だろう、という驕りは、打ち砕かれつつあります。

 

例えば、絵については生成AIがあり、無料でも使用できたりします。

 

文章、詩などは、チャットGPTに代表されるAI機能が巷にあります。

 

音楽については、これ、というAIを僕は知りませんが、理論をぶち込んで人間の感性を学べば、すぐにでも作れるでしょう。

 

写真については、どうなのでしょう。絵画のように「創られた絵」というのであれば可能でしょうが、写真はやはり「リアルの切り抜き」とか、現実を切り取り紙面の上で時をとめたもの、というような存在だと僕は思うので、写り込む景色をイチから生成していたら、それはやはり絵画であって、写真ではないような。写真であるためには、そこまで行って、写真を撮影しなければならないわけで。

 

あ。

 

ドローンを使えばそれも出来てしまうのか。

 

 

そんなわけで、人類は総敗北です。

 

機械、コンピュータに芸術がわかるものか、と、思う向きもあるかと思いますが、既に巷には多くのAI作品が普及しております。その恩恵を当たり前に享受している人間社会があります。

 

 

せいぜい人間のプライドをかろうじて保てる部分としては、AIは、人類が作り出した、と言えるぐらいでしょうか。

 

AIが全ての芸術を席巻し、生身の人間が直接創り出す芸術が同じ人間から評価されない時代であっても、巷に溢れている芸術は、間接的には人間の作品だ、と言えるかもしれません。

 

 

それはそれで、人類がそう望むのなら、そうなっていくことも仕方ないのかな、と思います。

 

ですが、人間は、この地球上に人間という存在が発生した頃から、芸術や文学などと共に歩んできたと思います。

 

特に芸術、アートに接してこなかった人でも、人間の根源的な部分でその芸術性は担保されており、それが日常生活の中で、芸術と呼ばれる分野でなくとも発揮されます。センス、とか、感性とか言われます。掃除のセンス、とか。こういうのも、根っこには芸術があると思っています。

 

なので、一切の芸術をAIに委ね、それらを失った人間は、果たして、どのように生きていくのか、僕には全く想像がつきません。