kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

コンプラとか。

現代は、コンプライアンスなどが昔よりも全然シビアで、昔ながらの考え方で働いていると、あっさりとハラスメントで訴えられる、というシーンもありますね。

 

僕の勤め先の、グループ企業という名の親会社でも、変われないお偉いさんがハラスメントで失脚したりしていました。当たりが強かった人も、どことなく丸くなったような。単純に年齢ですかね。

 

まぁ、今の僕はそのような人達と関わることもない立場なので、遠くから見ているだけですが。

 

 

特にハラスメントに関しては、人を守る、という意味であったり、多様性を確保する、という意味でも、しっかり監視していく必要は感じます。

 

ただ、何事もそうなのですが、いいとこ取りをしよう、というのは難しくて、ハラスメントを撲滅すると、それと共に消えていく気風や風土もあるのかな、と思います。

 

日本は特に「空気を読む」社会ですが、昔は、空気が読めないとパワハラされたりしたわけで、それはそれで大きな問題なのですが、パワハラをしない、ということと、空気を読まなくて良い、ということは、必ずしもイコールではなく、空気を読まないことが悪なのか、という問題はあるにせよ、まぁ、そんなようなことが言いたいわけです(空気が読めないことについての是非を論じてはおりません)。

 

 

そして、現代ように変化が継続する時代には必ず発生する「昔は◯◯」さん。昔はよかった、とか、昔はもっと厳しかったとか、すぐ昔を持ち出してしまうオジサンオバサンです。

 

僕もだんだん、その種に変異しつつあるので、意識だけは若く、強く保っていたいと、日々その変異と戦っております。

 

でも、昔はよかった、にも理はあるわけで、よかった昔が今はないのは、冒頭のコンプライアンスだったりなんなりで、悪いものと一緒に撲滅されてしまったのかもしれせん。

 

 

少しずれますが、僕が子ども、と呼ばれる時代には、大の大人が、ひとたび外出すれば連絡が取れなくなる時代でした。スマホや携帯電話がなかったからです。

 

携帯電話が普及してからは、携帯電話による「うつ病」が、社会問題にもなりました。24時間、常に電話に縛られて、自由やプライベートがなくなってしまったからです。なので、あえて仕事用の携帯電話は持たない、と、会社と取り決めていた人もいました。

 

今は、スマホが当たり前過ぎて、むしろ「連絡が取れない」という環境がレアですし、そのことに不安を抱える人の方が多いのかもしれません。そのような中で幼少から育てば、それはただの常識になるのでしょう。

 

これはまぁ、どっちが正解というのはないでしょうし、僕に判断する資格もないわけですが、そういうこともあった、と。

 

 

僕より上の世代の方は、それら時代を見つめて生きてこられておりますので、僕よりもはるかに妥当な判断が出来るものと思います。

 

窮屈さも感じるし、優しさも感じる。でも、その優しさは無条件の愛などではなく、歩を乱したりすれば、あっという間に敵認定され追い込まれる庇護でもあります。

 

まぁ、僕は弱い人間なので、パワハラがはびこる世の中では多分、生きていけないので、今で良かったと思います。ただし、現代でも、形、手段を変え、より陰湿なパワハラもありそうですから、油断はできませんけども。

 

 

世の中は、いい方に向かっているのか。

 

集団心理みたいな感じで、誤った方向に猛進してしまっていないか。

 

時折、考えてしまいます。