流行は繰り返す、と言います。
ファッションなんかそうで、私程度の年齢になると、だいたいその流行が一周ぐらいはしている感じですかね。
子どもの頃、まわりの大人が着ていたような服装が、自分より全然若い世代で流行っていたりするのを見ると、そのサイクルが実感できます。
私はファッションとかそういうのは疎いので深掘りは出来ませんが、香水なんかも、サイクルがあるのでしょうか。
というのは、最近、子どもの頃に嗅いだ香水の匂いを街中で感じることが多々あります。
その匂いは、父親の職場に連れて行かれたときとか、親戚が集まるような、男性の大人が集まるシーンでよく嗅いだ匂いだったので、男性が好んでつける香水だったのだと思うのですが。
そのせいか、私の中でそれは「オジサンの匂い」だったので、匂いの質は別として、その匂いは「オヤジクサイ」ものとして識別されるのです。
いつしか嗅がなくなったなぁ、と思っていましたが、ここ数年でまた嗅ぐようになり、うわオヤジクサイなぁ、と思ってニオイのもとを探してみると、私よりも全然若い男性だったりして、そこでやっと、あぁまた流行っているのかな?と思い至るわけです。
子どもの頃に嗅いでいた時、使用していたのが私の父親世代なのか、それよりもさらに上の世代なのかはわかりません。親父自身は、香水をつけてはいなかったと思いますが、でも親父自身からも嗅いだことなあるような気もするので、記憶違いかもしれません。
繰り返すもの、というのは、流行りの周期もあるのでしょうけど、やはり人類にとって不変の価値があるのかもしれません。
例えば、我が家のいわゆる配偶者は、たまに自宅でお香を焚きます。その際、セージというやつを焚くことが度々あるのですが、これって、私みたいな人間からすると、お寺とか、立派な仏壇があるおじいちゃんおばあちゃんの家の匂い、という識別です。
なので、子供の頃から嗅ぐ匂いではありましたが、私の中では「年寄り臭い」匂いに分類されていました。
ですが、オッサンになった今、この匂いを嗅ぐと妙に落ち着きます。匂いに包まれていたい、とも思いますし、この匂いが似合う静かな空間に身を置きたい、と思ったりします。
子どもの頃は、お寺帰り、体にこの匂いがついてしまうことも嫌だったのに、不思議なものです。
そこには解釈の変化もあります。
子どもの頃は、とにかくみんなと同じとか、その時々に良いとされるものの中に身を置きたい、という、自分の好みとは関係ないところでの取捨選択がありましたが、年齢を重ね、最先端や流行りを追いかける年齢でもなくなると、自分が好むものを求めるようになりますね。
私は、ファッションに興味はないものの、形などにはこだわるところがあって、例えば通勤で使用する鞄は手持ちじゃなきゃ嫌だとか、冬場に着るコートはロングじゃなきゃ嫌だとか、そういうのがありましたが、今は無頓着になりました。
良くも悪くも素直になった今、オヤジクサイあの匂いも、私の中では好ましい匂いであることに気付き、セージもまた然りです。
また、けしていい匂いに分類はされませんが、そのオヤジクサイ匂いに、タバコの匂いが混ざっているのもまた、センチメンタルにしてくれる、私の中の「懐かしく」「また嗅ぎたい」匂いです。