努力をしない人間になりました。
この歳になり、勉強のひとつも、ちょっとしたトレーニングも、やれません。
やれないのではなく、やらないのだろう?という意見であれば、わかっています。
僕の今の状況は、やれないのではなく、やらないのです。
なんでこんなオッサンになったかね、と、まるで他人事のように自分を振り返ります。
まぁ、答えは考えるほどのものではなく、幾つかの要素はすぐに思いつきます。
なんだかんだで、若いころから努力というものから逃げていましたので、当然です。
なんで逃げていたのか、と言えば、努力という行動が面倒くさい、という思いはまずあります。
それと、おそらく、失敗や挫折を嫌ったんでしょう。
失敗や挫折が人を育てる、みたいな言葉も、知っておりますので大丈夫です。
ですが、知ってはいても、じゃぁやろう、とはならなかった。
これらの裏にはさらに、本能として求める生き方というのがあり、結局僕は、怠惰に生きたいのが本性なのであり、努力して何かを達成するとか、名声や名誉に満ち溢れた人生よりも、好きなだけダラダラとしていられる人生を望んでいた、ということです。
ただ、それに気づくのに時間がかかりました。これはこれで、それが本性であっても、理性的には認めたくない自分ですからね。もっと、特別でいたいとか、平均的でありたいとか、そういう思いが人並にあればまた違った今があったんでしょうけども。
こういうのは、カウンセリングなどで変わるものなのかどうか。
むしろ、催眠術なんかの方が効果があったりするんじゃないだろうか?と思ってみたり。
これからしばらく、仕事でも、家のことでも、少し精神的負荷が多いことが続きそうでして。
あぁ、これはあくまで「僕にとっては」です。フットワークが軽く、自信を持って生きている人なら、そんなに苦痛じゃないんじゃないかと思いますが。
なので、催眠術でもいいから、それらに遅滞なく対処できる自分を作りたいなぁ、と。
そう思っております。