kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

ひとりごと。

例えば「家を存続させる」とか、代々守ってきたものを自分も守り、次代へつなぐとか。

 

そういうことがライフワークである人がいます。

 

昭和時代や、それ以前であれば、当たり前にあった生き方だと思います。

 

一方で、日本は核家族化が進み、守るべき家とか、血統とか、そういうものは徐々に廃れていっている気もします。

 

 

ですが、それを大事にし、頑なと言えるまでに守ろう、という人も、まだまだいるでしょう。

 

実は、僕はおそらく気質的にはそちらで、保守的と言えるでしょうし、旧守派とも言えるでしょうか。座右の銘は温故知新と言っていることもありましたが、革新的に新しいことを取り入れるのは苦手で、結局は変化を嫌う頑固者です。

 

 

僕世代になると、生まれ育った家庭が核家族という人も多く、物理的な住む場所としての家も、血族という意味の家も、関心を持たずに生きている人も増えているのだと思っています。

 

そして、それが時代であり、日本が向かってゆく未来のひとつなのでしょう。それに、自分がこの世から去ってしまえば、自分にとって家というもの自体が無意味になるでしょうから、そういう意味では、こういう家という考え方は現世だけのものですし、それにこだわって生きるのは、俗世の執着でしかないのかもしれません。

 

 

とはいえ。

 

それが大事だと思い生きてきたことは確かで、性にも合う思想なのですが、それを改めて体感したのは、家を守ることが叶わない、と悟り始めた頃からです。

 

 

いや、僕はおそらく、現代において特殊な生き方をしているわけではありません。むしろ家にこだわる生き方の方がトレンドではないと思うのですが、それでも僕は、守れなかったのか、守らなかったのか。生き方に間違いがあったんじゃないか。ご先祖様は怒るだろうか。そんなことが気になってしまいます。

 

 

お墓は、もしかしたら、墓仕舞いが必要です。

 

我が家の家紋は、僕がダメでも、従兄弟達が継承していくのかな。

 

子々孫々のため(というと大袈裟だが)に残したいと思っているものも、無用の長物になってしまうかもしれない。

 

 

一応僕には、娘と呼べる存在がおりますが、僕が抱えるこれらは、多分、娘にとっては「お荷物」でしかないだろう、と、思います。

 

また、これらのせいで娘の人生が窮屈になるのも申し訳ないと思います。

 

 

これ以上は、本当に僕個人の一方的な偏った考えになるのでここまでにしておきますが、こういった、諸々の整理もまた、終活の一部なんでしょうね。気持ちの整理も含めてです。

 

さすがにこれらは、気持ち的にも納得して整理して最期を迎えないと、念が残って成仏できなそうな気がします。

 

 

ただ、気持ちの整理には何年もの時間がかかるんじゃないかな。

 

そして、自分の人生の意味や価値を、違うところに見出す必要が出てきますが、これまた時間がかかりそうです。

 

ちなみに、僕が大袈裟に考えているだけで、我が家を次世代に継いでいくにあたり、他の家にはない特殊な物品とか、権力とか、遺伝的能力とか、そういうものがあるわけではありせんので。

 

 

まだ、こういう重たい話は娘には早いでしょうから、しばらくは一人で悶々と考えていきたいと思います。