kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

鮭なべいべー。

いわゆる配偶者が、昔のバンドでやっていた曲があり、それを、カッコよく言えばリメイクしているのが、今、趣味としてやっている、音楽でやっていることのひとつです。

 

それらは、原曲の音源がおそらく、当時の練習を録音したものしかないので、それを、僕の風味を加えながらパソコンで打ち込んでゆく、という作業となります。ですから、リメイクというと少し大袈裟で、原曲のイメージから外れるものではなく、むしろイメージを大切にしているつもりです。

 

 

何曲もあるのですが、そのなかに、Voice、という曲があります。

 

歌詞の内容としては、失恋直後の男の子の気持ちです。

 

曲はバラード調で、僕の中では、アメリカンロックなギターソロがとても気に入っている曲です。

 

 

原曲では、当時の配偶者が苦しそうに歌っているのですが、その苦しそうな感じが、失恋のニュアンスとマッチして、切なそうで、つらそうで、僕は気に入っています。

 

 

でも。

 

リメイクして歌い直しても、今はもう、当時の声は出ないんですよね。

 

理由はもちろん、ブランクのせいもありますが、年齢によるところも大きい。

 

ボイストレーニングを週イチでやっており、キー(音程の高さ)は問題なく出るようになっているのですが、声の太さとか、そういう部分がやはり、当時とは違います。

 

先ほども書いたように、苦しそうな歌声が、失恋の切なさ、苦しさにマッチしていたなぁ、というのが僕の感想なのです。

 

レーニングの結果として、サラッと軽々しく歌ってしまったら、ちょっと違うかなぁ、というのが僕の思うところです。

 

 

まぁ、イマサラ失恋を歌うのもあれですし、思い切って歌詞の方を描き直すのもひとつだとは思うのですが、若い頃に、若い勢いで作った歌詞や曲に勝るものが、今、生み出せる気はしないですね。

 

なんか、器用に、長いものに巻かれて生きてます、みたいなところが出てしまって、不器用ながら心に響くような歌詞、というのは描けないだろうなぁ、と。

 

もう、こういう言い訳をしていることがもう、勝てないであろうことを語っていますね。

 

もちろん、じゃぁもとの歌詞は響くのか、と言われれば、それは保証できないですけどもね。

 

 

言葉に溢れていたあの頃は何だったのだろう、と、振り返ります。

 

それを、若さ、という言葉で片付けてしまっても、そんなに間違いではないですけども。

 

今風に言うのなら、厨二病だったんだろうなぁ、と思います。

 

ですから、言葉に溢れていた当時が、美しく切ない思い出なのではなく、どちらかというと、黒歴史です。

 

長いものに巻かれる大切さとか、それで得る幸せなんかも、わかってきたつもりです。

鮭なべいべー(ベタ)