2023年6月13日は、
僕が、タバコをやめた日です。
はやいもので、あれから1年。
禁煙を維持しております。
思えば、出だしは本当に軽い気持ちからで、出勤前の、いつもの喫煙所での一服をやめてみた、というぐらい、目先のことでした。
いつでも吸えるんだし、この一回を吸わずにいても、別に困ることにはならないだろう、と、自分に言い聞かせたところから始まりました。
当時、実は禁煙よりも「節煙」に意識が向いておりました。そもそもヘビースモーカーだった自分が、風邪ひいて喉がヒリヒリに痛くても吸い続けた自分が、やめられるとは思っていなかった。
やめる動機も弱かった。健康によくないとか、臭いが良くないとか、そういう一般的に語られている影響では「だからやめる」とまでは言わなかったし、強いて言えば副流煙で健康被害をもたらす、というところは真剣に考えねば、とは思っていましたが、それはやめる、というより分煙の徹底とか、そういう方向に考えていました。
ただ、喫煙者は、昔ほど自由に喫煙はできませんので、どうしても「吸える時に吸っておく」という文化があり、そのため、喫煙所があるのに吸わずに通り過ぎることは重篤な機会損失であるわけです。そして、それがいつしか喫煙所を見ると吸いたくなる、に変わっていくわけです。
その、先入観というか、作られてしまった観念を壊したかったんですね。今、吸わなくたって、吸いたくなったらこの喫煙所まで来れば吸えるんだから、今、吸う必要はなくないか、と。
それで、少しでも煙草の消費量が減れば、家計の足しになる、というか、家計において煙草の費用がとても邪魔だったんですね。
今吸いたい、を、次回に持ち越してみる。その程度の試みだったんです、きっかけは。
だから、というわけではないですが、禁煙のきっかけとなった喫煙所にさしかかる数分前に、僕は煙草をコンビニで買っているのです。禁煙をするつもりではなかったですから。
その時の煙草は、今も未開封のままクローゼットに突っ込んであります。
繰り返しになるのですが。
僕が得た禁煙方法は、そのような、自分の中に出来上がってしまった観念を崩すことだと思います。
今、吸わなきゃいけない根拠はない。
今日、吸わなきゃいけない根拠はない。
そういう、作り上げてしまった観念、固定概念は、ニコチンよりも依存性が強いと思います。
ニコチンに依存しているのではなく、そのような観念、概念に依存しているのだと。
そこに気付くと、少し、煙草を吸わないことによる苦痛の種類も変わると思います。