我が遺伝子を継ぐ女子、いわゆる娘ですが、どうもダンスとか音楽に興味があるようです。
とはいえ、僕に似てしまったので、がっつりそれらに打ち込んでいる風ではなく、いいよね〜、ぐらいの感じです。
やる気のない人生、成長のない人生においては、僕自身、ひとかどの人物である、と自負しておりますので、そういった面から話をしてあげる機会があれば、してあげたいと思っています。
どうなんですかね。
現代の生き方として、僕が子どもの頃のように「将来の夢」とか、そんなことを言っている時代じゃないと感じています。
夢を仕事に、というよりかは、夢を継続するための生活設計、みたいなのが今の社会では重要視されているように感じますし、例えば投資信託などもその一環ですし、仕事と夢は切り離して考えるべきであると。
そして何より、僕が子どもの頃の風潮は、逆説的に当時に流行った音楽に詰め込まれていて、例えば尾崎豊とかそうなのかもしれないですが、まだまだ「右に倣え」があり、そこに幼少の頃からはめ込むように教育していたような気もしますし、だからはまり込めなかった人たちがその思いを音楽に乗せてシャウトしていたのではないかと。
そして時代は個性重視の風潮が生まれてゆきますが、それがまたメリット・デメリットあるわけで。まぁここでは割愛しますが。
僕の子ども時代は、夢がないといけないとか、単なるお金儲けを求める人は悪だとか、そんな風潮がまだまだあったような気がしますし、自分も昔は当然のようにそう思っていました。
が。
なんだ、自分がそこにあてはまっていないじゃないか。
結局、若い頃は自分に嘘をついていたというか、それが当たり前だとか、もはや人間の生理現象のように受け止めていたので、やれ夢だの生き甲斐だのを探し、いわゆる「嫌儲」的な考えを持ち、その思想における、正しい人としての生き方、を模索していたと気付きました。
冒頭にも書きましたが、娘と同じく、僕は何事にも興味が薄いので、夢、というものは実は、子どもの頃から持ってはいなかったのだと思います。
このような人間はじゃぁ生きていてはいけないのか、と言えばそんなことはなく、惰性で生きる、というのもまた、人間の生き方のひとつなんだろうし、昔からそのような性質を一定数の人が持っているのであれば、それは間違っているものでもないのでしょう。
ややこしい話になってしまいましたが、僕はそういう立ち位置の人間ですので、その立場から、娘に話をしたいと思うのです。
適当でいいとか、惰性が一番とか、そういうことを言うつもりはないですが、生き方に良し悪しはないので、僕は娘がどういう生き方を選択しようと、それを否定するつもりはなく、することも出来ない、ということですかね。
人として生まれた以上、同じ人間同士の「競争」からは逃げられません。
どの場所で、どのような事象であっても、比較されることは常にあり、むしろ比較することは人間の特性でもあって、何よりも自分の中に備わっていると。
まわりからの意見やアドバイスを、自分の考えだ、と誤認してしまわないようにしてあげたいし、そんな植えつけられた考え方で人生の遠回りをしないように、堕落者としての考え方を伝えてあげたいと思うのです。
ま。
それで、ホッとするのか、うわ、こんな風になりたくない、と思うかは娘次第。そして、どちらに転んでも、それはそれで良いと思います。
問題は、そんな話をする機会があるか、ということです。
娘はこの春から「JK」です。父親と絡みたくない年頃でしょうからねぇ。