僕は、今の配偶者とは、再婚です。
配偶者も、再婚です。
どちらも、前の家庭で、子どもがいます。
今の家庭では、おりません。
僕は恵まれておりまして、子どもに会うことについて、どこからも拒絶はされていません。子どもがお父さんに付き合ってくれるかどうか次第、です。
なので、ブログには「我が遺伝子を継ぐ女性」という表現で、たまに登場しています。つまり、娘です。
ただ、配偶者は、子どもに会えません。
だいぶツラい経験をしてきたようなので、ここで多くを語ることはしませんが、少なくともボロボロに傷ついた心で、いつ自らを◯してしまってもおかしくないような状態の頃に、僕は彼女と出会いました。
それでも、僕が子どもに会う時に快く送り出してくれるのは、親の、子どもを思う気持ちがわかるだけに、それを止めたりは出来ないのでしょう。
子どもには、縁がない二人なんだと思います。
親になった経験がある二人ですが、親を続けることが出来ませんでした。
そして、僕らの間に子どもがいないこともまた、それを暗示しています。2回ほど、お腹に宿ったことはあったのですが。
月に一度、願掛けのようにとある神社に詣でている、と、何度かブログでも書いたことがあったのですが、それは、その二人の供養(?)のためです。神社で供養、というのはチグハグな気もしますが、ついでに、万が一の奇蹟がないものか、という、お願いじみたことも含めての参拝です。もう、奇蹟が起きなきゃ無理、というぐらい、いい歳なんですけどね、二人とも。
僕は参拝で願い事はしないようにしていますが、配偶者は果たしてどうだがわかりません。
なぜ、おもむろにこんな話を始めたか、というと、娘が、高校受験だからです。
娘とのLINEでそんな話が出て、あぁ、義務教育ももう終わるんだなぁ、と。
そして、それに伴って「親同士の話」を、前の方とする必要が出来たからです。
といっても、険悪なわけではありません。
僕としてみれば、娘をちゃんと育ててくれていることに感謝していますし、だからできる限り、協力したい気持ちはあります。
先のこと、取り急ぎ春からのことについての相談メールを前の方からもらい、あぁ、なんか色々と新しいゾーンに入ったのかな、という気がしています。
自分勝手なことを書きますが。
僕は、そういう意味で、とても人に恵まれています。
だから。
僕に関わるすべての人が、少しでも幸せになれたら。
そう思うのです。