僕が、古い人間だからなのか、日本人だからなのか、指示待ち人間だからなのか、自分を持たない人間だからなのか。
有給休暇などの休みには、無条件で罪悪感を覚えてしまう人間です。
別に、僕がいなくたって会社はまわる、というのはわかっていますが、そういう気持ちがぬぐえることはありません。
そもそも、会社がどうとかではなく、おそらく自分自身との、自分の中でのことでしょうから。
これはもはや、マインドコントロールに近いのではないか。
思えば、僕の父は仕事人間で、時代背景もあってか、ほとんど、仕事で家にいることがない人でした。
中間管理職以降になって、日曜は家にいることが増えましたが、それまでは、職場としては日曜休み(まだ土曜勤務が当たり前の時代)でしたが、呼び出しがあれば駆けつけるとか、前日の仕事は終わらずに日曜まで引っ張るとか、当たり前にある人でした。
子どもの頃、よく父と遊びに行く約束を反故にされてしょげていると、母から「お父さんの約束を信じる方が〇〇なのよ」と、追い打ちをかけられたのは、よい思い出です。
もしかしたら、そんな父親の背中を見て育ったからなのか、男たるもの(という表現は今はあまりよろしくないのかもしれない)、忙しくてナンボ、という概念が植え付けられてしまったのかも知れない。
休める=忙しくない=ダメ人間、みたいな。なので、そのレッテルを回避するために「休めない=忙しい=有能人間」という逆算式を、体にしみこませてしまったのかもしれない。
一応、父の名誉のために行っておくと、それでもたまにドンと休みを取って、旅行に連れていってくれたりしました。非常に家族思いの人で、だからこそ、がむしゃらに働いた、という背景もあるんだとは思います。
僕が小学生の頃、東京から、愛車を駆って鳥取砂丘まで家族旅行に行った親父のバイタリティはなかなかのものです。当時はカード決済が普及しておらず、帰宅時にはガソリン空っぽ、所持金50円だった、と、母が今でもたまに笑い話にします。
それでも、父の職業は「そういう」仕事として、世間的にも認知されているような職業でしたが、僕の職場は違います。夜勤はありますが部門によりますし、よほどのトラブルでもない限りは、帰宅せずに夜通し仕事をするような会社ではありません。
それでも、現場時代は、年間の赤い日より休みが少ない、なんて年もありました。それはつまり人手不足であったり効率化がされてないがゆえの多忙であったわけですが、24時間ではないものの、365日稼働はしている会社ですので、〇日連勤、というのも、あるにはある会社です。
でも、僕はもう現場じゃありません。
会議だとか、何か約束がなければ、自分で調整して、休みを取ることが出来る立ち位置にいます。
多分、親からの刷り込みによる価値観があり、その価値観を持ってして、現場仕事の頃はそこが満たされていたのだと思います。その分、当時の家族に迷惑をかけたんだろうな、と思いますが。
そして、今は、満たされなくなってしまった。
いや、勤務中は忙しいのですが、それでは満たされないようです。帰れないで仕事をするとか、自宅に仕事を持ち帰るとか、前時代的な、理不尽な働き方でしか満たされない、やっかいな刷り込みです。一種のマゾなのかも知れません。
でも、頭を使う仕事は苦手なので、ただひたすら目の前の業務をこなす方が性に合っています。都合よく、そういう仕事がまわってきたら、満足出来るんですかねぇ。
なんでしたっけ、昔の軍人の名言がありましたよね。有能・無能、働き者・怠け者で兵士を分類した時、「無能な働き者」が一番、軍に有害なんでしたよね。
自分はそれなんじゃないか、と、少し、自分を疑っています。