今週のお題「こぼしたもの」
やさぐれた、低俗な生活を送っているせいでしょうか、こぼすものとは何か?と聞かれると、真っ先に浮かぶのが「愚痴」です。
しかし、愚痴をこぼす、というのは良くできた表現であると思います。
体の中に文句や不平が溜まり溜まって一杯になって、口を開ければそこから「こぼれて」くる、とイメージすると、すごくわかりやすい。
愚痴というのは、水のように溜まるもの、溢れるもの、こぼれるもの、なのでしょう。
愚痴とは、言っても仕方ないことを言って嘆くこと。とあります。
言っても仕方がないこと、というのは、例えば何か良くない環境があって、それが「良くない」というのは別に問題ないわけですが、ただ「良くない」と言うだけでは改善も解決もしませんので、それは「言っても仕方のないこと」なんでしょう。
一歩踏み込んで、だからこう改善しようとしてるんだけど、こういう問題があって、みたいな話になると、それは愚痴ではなく、ぐっと建設的な話になります。
まぁ、自分で解決できる問題と、そうでない問題がありますからね。愚痴にしかなりようがないこともあるとは思いますが。
例えば、政治などは、投票することで自分の意見を政治に反映するわけですが、ことこまかに「この政策はこうしてほしい」「こういう政策をこのように実施しよう」みたいなことは、反映できません。選出された政治家や、その所属する政党などで決めていきますからね。
なので、この人こそは、と思った人が全然違った動きをしていたり、二枚舌だったことが発覚したりすると、これはもう愚痴をこぼしたくもなりますし、それ以上の対応をするのは難しい。
あぁ、ここでは「自分が立候補して政治を正す!」みたいな、すごく意識高い考え方は除外します。
なので、手の届かないようなところで起きていることに対しての愚痴というのは、ひとつの「話のネタ」でもあり、多くの人が愚痴をこぼす以外にやりようがないからこそ、共通の話題として共有できるのでしょうけども。
個人の身の回りのことなどになると、多くの場合は「愚痴ばっかり言っていないで、少しは自分でも何とかしようとしてみたらどうだ?」と思われることが多く、それを言わずとも人々の心の中には発生するので、身の回りのこと、自分のことで愚痴ばっかり言っていると、まわりの人は去っていきますね。
こぼれてしまう愚痴を、どう、こぼさないように対策するか。
とあるおとぎの国の人は、地面に大きな穴を掘り、そこに目一杯「秘密」をこぼすことで、人前で自分の口からその「秘密」がこぼれてこないようにしました。
我々も、つい愚痴ってしまう前に、その「穴」を、自分の身の回りに作ってみるのも一興です。
ちなみに、私は配偶者の「穴」にさせられることが多いですが、ちゃんと聞いていないのでよく怒られます。
だって、いつも同じ職場の、同じ人達のことばかりなんだもん。シチュエーションは違えど、結局根っこは同じことばっかりなんだもん。
あくびして怒られたことがあります。
こっそり、見えない方の耳にイヤホンをしてYouTubeを聴いていてキレられたこともあります。
むしろ、配偶者の行動を正してしまい、いったい誰の味方なんだ!みたいになってしまったこともあります。
とまぁ、これも、私のいわゆる「愚痴」ですね。
ブログを書くようになって、愚痴がこぼれることは、増えた気がします。