先週に引き続き、今週のお題について書こうと思ったのですが、お題からは話が逸れてしまうと思うので、通常のブログとして書くことにします。
自由研究は、小学生の、夏休みの宿題として代表的なものですが、実際の所、現場での盛り上がりというのはどうなのでしょうか。
私は全く興味もやる気もなかったので、特に面倒くさいものでしかありませんでした。
巷の話を聞くと、率先して研究テーマを見つけて、親のサポートを受けながら立派な自由研究を作成、発表し、担任の先生から褒められる、みたいなテッパン話があります。
私の同級生で、そこまで情熱を注いで研究した友人がいたのかどうか。
しかし、ブログでお題にされるぐらいだから、頑張ってやった人はいるんでしょうねぇ。
この歳になって感じますが、真剣に取り組んでやるぶんには、すごくいい宿題だと思うんですよ。
ただ、小学生当時の私には、その意義や取り組み方、というものはわからず、ただただ煩わしいだけのものでした。
担任も親も、あまりそういうことについて教えてくれた記憶もないので、もし、小学生自身が、自発的に解釈するところから自由研究なのであれば、とことん私は自由研究には向かない性格の子どもだったのでしょう。
このような“自発的”な“発想”と“行動力”を養う勉強というか取り組みは、現代においては必須だと思います。
言われたことだけやれていればなんとかなるとか、無心に目の前の“業務”をこなせば安泰、ではない時代です。自分で考え、自分で動く、というのは、今現在も含めた、今後の日本で必須の能力でしょう。
そのような勉強のとっかかり、出だしが、自由研究なんだと、今では思うわけですが。
そんなわけで、私は、自由研究という名前で、絵を描いて終わらせた年もありますし、近所で石ころを拾ってまとめただけの年もありました。何かを知りたい、という欲求も、当時は特になかったのでしょう。
このように当時を思い返すと、私は小学生時分に学ぶべきことを学べてきていなかったんだろうなぁ、と、思わざるを得ません。
今に比べれば、右へ倣えの風潮で、個性よりも集団、というような時代だったかもしれませんが、それでも、学ぶべきことはたくさんあったんだろうなぁ。
まだ少子化という波も来ておらず、過保護なモンスターペアレンツが社会問題にもなっていなかった時代。
今よりざっくりとした学校生活の中で、教育側の意図は隅々まで伝わらず、また、隅っこで落ちこぼれた子どもを掬い上げるほど、目が届いていなかったのかもしれません。
今は目が届いている、というつもりもありませんが、人数だけでお話をすれば、私の頃と比べ、1クラスあたりの生徒の人数は半分です。
まぁ、先程述べたモンスターペアレンツの問題や、少子化による、学校同士での生徒の囲い込みや奪い合いなど、昔にはなかった問題も発生していますから、今の教育者も大変だろうとは思います。
ただ、自由研究に率先して取り組めるような教育を、お願いしたいと思うのです。