自分にはもともと、逃げ癖がある。
怒られるのが嫌で逃げる、プレッシャーに耐えられず逃げる、面倒になって逃げるなど、様々だ。
あげくには家事から逃げる、飲み会から逃げる、微妙な距離感の友人から逃げるなど、煩わしいことからも逃げる癖がある。
昔からそれは変わらず、今でも、実際に逃げるかどうかの違いで、逃げたいのには変わりがない。
逃げたいけど逃げなくなったことを成長とするのか。
逃げようと思わなくなってこそ成長なのか。
さて。
社内のごくごく一部で、私はタフだ、という評判がある。
ガンガンに詰められるようなトラブルの報告会だったり、パワハラ役員から朝6時に呼び出されてひたすら怒鳴られたり、みたいな場面が私には多かったせいか、そのような誤解があるようだ。
まぁ、そのような場面が多い、というのが一番の問題ではある。
別に、タフなんじゃなくて。
脆いからこそ、壊れないやり方を考えてきただけのことで。
怒られ慣れた、と言えばそれまでだが、しかし、相変わらず掃除はしたくないし、食器を洗うのも後回しにするし、まわりに気を使うような予定なんか入れたくないのは変わらない。今でも逃げ癖は健在だ。
なので、今でも昔のまま、自分は脆い、という自覚があるので、むしろ、タフな人はすごいなぁって思うし、率先して嫌なこと、面倒なことが出来る人はえらいなぁって思う。
極論として、自分以外のすべての人は、私よりタフだと思っている。
タフだから壊れないのか。
脆いからこそ壊れない方法を考える、というのが、タフの正体なのか。
某国の大統領。私から見ても、すさまじくタフだ。
自分を殺害するための傭兵部隊を何度も送り込まれているのに、なんら動じることがない。
どれだけ攻撃が激化しても、留まり続ける。
たとえそれが、戦術のひとつだったとしても、タフで、胆力がある。
善悪などの評価はここではしないが、これらの事実だけでも、彼が傑物であるのは確かだと思う。