あまりに自分の現実とかけ離れているテーマや、愚痴やら文句しか出てこないテーマは、読む人に申し訳ないので遠慮している。
今回は「やる気がない時」だったので、これは私のためのお題だ!と思ったのだが、よく考えたら、私は「いつも」なので、お題とは違う。
私の場合は、一時とか、特定の何かに、というわけでなく、
常に、全般に、だ。
なので、今回も参加は断念した。
とはいえ。
やる気があるのは、素晴らしいことだ。
常に、全般に、の私が言うのもなんだが、やる気があるに越したことはない。
仕事に、でもいい。
趣味に、でもいい。
今は仕事とは呼べていないけど、いつか仕事にすることを目標にしている行動でもいい。
さらに言えば、そういう枠もなく、とにかく”やる気に溢れた生活”があるのなら、なお良い。
その逆は、危険とも言える。
仕事へのやる気がない。
趣味に意欲が湧かない。
これも危険と言えば危険だが、そういう枠もなく、とにかく”やる気が出ない生活”というのは、
とても危険な匂いがする。
何かひとつがうまく回りだすと、他のこともそのうち回りだす、というのは、私の若い頃からの持論で、例えるなら車のエンジンと、付属してついている、オルタネーター(発電機)やコンプレッサー(圧縮機)の関係のようで、エンジンが回転すると、オルタネーターもコンプレッサーも回りだす。1つのベルトに括られているからだ。
この例えでは、エンジンが自発的に動く唯一の機関なので、ここが止まれば全て停まるのだが、人の場合は、全ての機関に動力があり、どれかが自発的に回り始めれば、他の機関もあわせて回ることになる。
他機関の動力をスターターとして、それぞれが自発的に回転をはじめ、どんどん回転数が上がっていく。
仕事、趣味、家族・恋愛をはじめとした様々な自分の中の要素が1本のベルトでつながれていて、どれかひとつが回転を始めると、他の機関もどんどんとエンジンがスタートしはじめる。
なので、逆から言うと、とにかくどれかひとつが自発的に回転しはじめないと、他の機関へ影響を与えられない。つまり、どれかが何かのきっかけで自発的に動き始めないと、結局どれも動き始めることがない。
エンジンの例えであれば、電気的エネルギーを使用して、スターターから動力を得てエンジンを回すわけだが、さて、人の場合、スターターがどこにあるのか、自身に内臓されているのかさえわからない。
勤めているのが立派な会社であれば、スターターを会社や上司が持ってきてくれて、エンジンをかけてくれる。
一度エンジンがかかれば、後はアイドリングと燃料さえ定期的に見ていてくれれば、いつまででも回るし、やはり会社や上司が、観察をしていてくれるわけだ。立派な会社なら。
趣味というのは、ちょっと表現が難しいのだが、磁石を使った、極端に言えばモーターだろうか。
原理はわからないが、磁石の引き合う力と反発する力を交互に影響させ、それを回転力とか推進力に変える。
自分が何もしていない状態でも、まわりに磁石がウロウロしていると、影響を受けて勝手に回転を始める可能性がある。
なので、とりあえず何かの界隈をウロついていると、勝手に磁力を拾って、回り出すこともあるわけだ。
これは、何か趣味を持っていてやる気が出ない場合にも有効だし、趣味自体を持っていない人にも有効だと考える。
家族や恋愛というのは、これまた一括りには出来ないのだが、恋愛というのはとりあえず事故に近いのではないかと思っている。
落雷が原因で山火事が起きるかのように、予期せず、準備せず、始まったり終わったりするので、こればかりは自分の意思だけではどうにもならないだろうと思う。
とはいえ、例え方がよろしくないが、事故に遭うには、事故に遭いそうな場所に行っていた方が確率は高いわけで、ようは「車に轢かれる」という一事をとっても、車が存在しない国でどれだけ道端で寝そべってていても、車には轢かれない。
家族、とりわけ子どもというのは、これはもう、子どもそのものがスターターでもあるし、燃料にもなるし、そもそもエンジンを回す理由にもなるので、これはもう理屈ではない。
ただし、子ども自体が動力を持っていることと、子どもは、自分自身のエンジンを回すために存在しているで、親のエンジンを子ども任せにしていると、いつか、動力を喪ってしまうことになる。
さて。
やる気がない、という話とは随分かけ離れてしまった。
エンジンに例えて言いたいことを言ってきたわけだが、人は、自動車に似ているな、と、書いていて思いが強くなった。
例えば、人の心の鼓動は、アメリカンバイクのように、不規則で不安定で、ほうっておくとアイドリングすらやめてしまう。時には力強く頼もしいが、なんでもない時に思いがけなくエンストしてしまう不安定さがある。
それでも、昔は、バイクならキックスターターがあり、セルモーター(電動スターター)が壊れていても、キックスタートでエンジンをかけることが出来る。
車も同じで、昔はフロントのエンジンあたりにクランクを差し込んで、グルンと回してエンジンをかけているシーンは、見たことがあるだろう。
それに、その手の車やバイクは、押しがけが出来た。
いざという時は、寄ってたかってみんなで後ろから押して車を動かし、転がるタイヤから動力をもらってエンジンをスタートする。
止まってしまったエンジンを動かすために、みんなでワイワイと押し掛けをする。とても暖かく、優しい光景である。
だが、今のバイクに、キックスターターはない。自動車にも、クランクを繋ぐ部分はない。
なので、セルモーターが壊れてしまえば、燃料がたっぷり入っていても、バッテリーが生きていても、エンジンをかけられない。
押し掛けも出来ない。
昔ながらのマニュアルミッションではないので、人間の操作で、タイヤから動力を得ることが出来ない。
だから、寄ってたかってワイワイ助けることは出来ず、せいぜいJAFなどを呼んで、人数にして1人~2人に助けてもらうことになる。さらに言えば、直接的に、間接的に、金銭が必要になるだろう。
どこか、現代人、現代社会に似ている、と思う。