kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

バイトの記憶。

今週のお題として書こうと思ったのですが。

お題の趣旨とは関係なくなってしまったので、普通のブログとして書くことにします。


さて。

お題は“やったことがあるアルバイト”なのですが、私は特別、特殊なアルバイトは経験がありません。

平凡なバイト経験の中で、年末年始の、年賀状の配達というのがありましたね、郵便局の。あのアルバイトは、妙に記憶に残っています。


そういえば、昨今は年賀状離れも進んでいるようですが、あの文化はまだ継続しているのでしょうか。

アルバイト禁止の学校でも、唯一やれた短期バイトだったイメージです。


さて。

私は、高校が自転車通学でした。その高校のそばにある郵便局でのバイトだったので、受け持った地区も、比較的学校のそばでした。

もちろん、学校公認のバイトなのでやましいところはないのですが、日頃は通過してしまうだけの景色の中で、一件一件、足を停めて玄関先まで歩く、というのは、何かこう、自分の人生を主として考える中で、そうじゃない所を覗いているような、そんな気分がしました。

自分が日頃、気にもかけていない世界に、こんな景色があり、こんな人達がいて、というのは、新鮮だったし、何かゾクゾクするものもあったような気がします。


そんな私の担当地区の中に、一軒のアパートがありました。

昭和時代の、典型的な外階段のアパートで、当時でも築年数はけっこうあったような、そんなアパートです。


そのアパートはちょっとした高台に建っていたせいか、階段を登った共用廊下から見える景色がひらけていて心地よいのですが、その景色をみて、ビビッときました。

なんというか、懐かしさみたいなものと、あまり良いことばかりではない思い出が詰まっている感じのフラッシュバック的感覚。

変な表現になりますが、昔、自分はここにいたことがあるのでは、という既視感。

面白いことに、このアパートの部屋についても、入ったことも覗いたこともないのに、何となく中の光景が頭に浮かぶんですね。


結局、これは答え合わせの出来ない、妄想の類ではあるんですが、頭に浮かんだ部屋の中の光景は、今のその部屋の現状、見知らぬ誰かの生活様式を垣間見るというよりかは、かつて自分がここで暮らしていた時の景色、なんだと思います。


更に紐解くのであれば、“私”は、部屋の感じから、おそらく独身ではないような感じがします。独身男が使うような柄ではない毛布だかがクシャッと丸まっていたので、もしかしたら、小さい子供もいたのかもしれない。子供用の衣装ダンスみたいなのもあったような記憶です。

日当たりは悪く、全体的に薄暗い部屋で、敷きっぱなしとは言わないまでも、乱雑にどかしてある布団が印象に残っています。

また、奥さんや恋人、子供のような人物の影は全く出てこなかったので、独身の可能性もないわけではないのですが。

そして、自分はなにかに焦っているような、不安になっているような、そんな焦燥感を持って暮らしている、という“設定”でした。


ここまでの、アパートの思い出みたいなくだりは、ほとんど、私の頭の中だけでのことです。

なぜなら、私は当時高校生で、当然、子どもはいませんでしたし、結婚、同棲も経験していません。

自分が幼少時代にこの地区に住んでいた、という話は親からも聞いておりませんし、住まいはその都度、明らかですから、まず住んだことはないはずです。


この妄想のような、妙にリアルな記憶はどこから来ているのか。

強いて言うなら、当時の私は厨二病に罹っていました。音楽活動で「歌詞を描く」にあたり、色々と妄想している時期でしたのでね。

そんな私の頭の中で、たまたま見た景色をきっかけに妄想が爆発した、と言えなくもない。

ただ、歯牙にもかからない、社会の片隅にポツンといるサラリーマンの景色、という感じで、妄想とも思えないのです。妄想なら、その後に劇的な展開になるでしょうが、そんなこともない、瞬間的な記憶の切り取りという感じです。


とっさに、前世の記憶か?と、これまた厨二病的な発想をしたものですが、なんつうか、輪廻転生って、時間的にも距離的にも、こんな近所に生まれ変わったりするもんなのか?という疑問が残ります。

独身か結婚したてか、というサラリーマンで、今も残るこのアパートに暮らしていたのなら、おそらく若くして亡くなっているだろうし、それも、けっこう最近のことであるはずです。記憶の中のアパートは、けして新築ではなかったですしね。

まぁ、ないことはないのかもしれませんが、出来すぎている気もします。


あとは、アパートの廊下に残った“残念”に触れたのかもしれない、とも考えました。

何かしらの理由でもうここには住んでおらず、ただ、ここでの生活に何かしらの思いを引きずったまま、去ることになった人の、思いの残り香。


アパートはボロで、こういう言い方はあれですが、裕福な暮らしを営むような場所ではありません。

ただ、その共用廊下から見える夕焼けはキレイで、景色が赤く染まるのを眺めているのも心地よい場所です。いつまでもそこにいられるような気さえします。

この景色に癒やされながら、ちょっと閉塞感があるような、鬱屈とした毎日を過ごしていたのかもしれません。


これが、“残念”である、と思う理由は簡単で、私は、その夕焼けを見たことはないはずなんです。

郵便局のアルバイトで、夕焼けがさすような時間帯にそのアパートはお邪魔していないからです。

私ではない方の、記憶にある景色なのかもしれません。


なお、高校を卒業し何年も経ってから、そのことを思い出してそのアパートを訪ねたことがありましたが、見つけることが出来ませんでした。

当時ですでに築年数は経っていましたので、建て替えられてしまった可能性があります。


なので、もう答え合わせは出来ません。

前世なのか、残念なのか、妄想なのか。

自分の人生の中の、ちょっとした不思議話です。