ここ最近、ロシアの戦争絡みの話を、「ひとりごと。」というタイトルで上げることにしております。
内容は全くもって私の妄想ですので、なんの参考にも勉強にもならないわけですが、そんな記事でも、テーマがテーマです。
不謹慎だ、と言われれば、何も言えなくなってしまいます。
本来、面白おかしく妄想を働かせるような話ではないですからね。
なので、タイトルは述べた通り。
タグなども極力つけず、閲覧者が少なくなる夜に向けて、ひっそりと更新しようと思っている次第です。
翌朝には別の記事で更新してしまうつもりです。
そこまでして、じゃぁなんで記事にするんだ、という考えもあるのですが、こればっかりは、自分でもよくわかりません。
ただ、基本的には、自分の知っている歴史と似通ったシチュエーションであるとか、そういった歴史から、この戦争の行く末を考えてみるとか、そういう、何か歴史に絡むとウズウズするようです。
直近の記事では「奇貨居くべし」という言葉を使いましたが、これも、故事成語というものになるのでしょうか。
中国の古代、戦国時代に、商人から秦の宰相にまで昇り詰めた、呂不韋という人の言葉ですね。
彼にとっての奇貨というのは、王位継承順位も高くなく、他国に人質として出されていた王子。
この王子を手元に庇護し、あれこれと画策することで秦王にまでしたわけですね。
そして、この秦王こそが、秦の始皇帝の父である、ということですが、一節には本当の父は呂不韋なのでは、と言った噂もある、まぁ、清廉潔白一辺倒という人物ではなさそうですが、そういう人の言葉です。
こういう、歴史的な事実や逸話と、現実が重なり合いそうなほどに近づくと、いてもたってもいられない気になります。歴史になぞらえて、この先を予想したくなります。
先程の例ですと、ベラルーシのL大統領を秦の宰相、呂不韋になぞらえたわけですが、この呂不韋は、最終的に毒を仰いで自死しています。それが、どういうところからどういう気持ちで、というのは、歴史の見つめ方により、良くも悪くもなるでしょう。
ただ、事実を追うのであれば、なぞらえたL大統領も、気をつけないと最期は良くないかもしれませんね。
同じように、客将で、亡命という形でベラルーシに形上は入国した、ワグネルのP社長。
こちらは、私としては絶頂期の韓信だなぁ、と思っています。
自分が助力した勢力が、天下を取る。場合によっては自分が自主独立し、天下を窺うこともできる。そんな、今の情勢のキャスティングボートを握っている気分だろうなぁ、と。
韓信もまさにそんな絶頂期だったわけですが、晩年は、助力した劉邦に疎まれ、左遷され、反乱を起こして処刑され、という最期でした。
P社長も、よくよく慎まないと、やはり終わりはよくないかもしれませんね。
ロシアのP大統領は、既に終わりはよくなさそうですから、最終的に、ウクライナがより繁栄・伸張し、ロシアとベラルーシは衰退する、ということも予想できそうです。
そして、私の興味は、ウクライナ、そのトップであるゼレンスキー大統領のその後ですね。
これはまた、別の機会にひっそりつぶやきたいと思っています。
