直感、というのは、自己解釈するのであれば、根拠なく、純粋に生物としての危険回避とか、探知という能力を使い選択をすること、となる。
ほとんどの場合において瞬間的で、熟慮の末の直感というのはピンと来ない。その熟慮は、直感で既に導き出した答えを、直感以外の要素で検証している、という感じだろう。
一方、占いというものがある。
ここで言う占いは、特にそれを学んでいない人でも身近に行える、というもの。例えば、コイントスなどだ。
これは、未来を指し示すツールであるのか、自己の心理を投影するものであるのか。
物事を行うにあたって、本人の心づもりというのは結構大事だと私は思っており、だからイメージトレーニングというものがあるし、頭の中の認識を改めるだけで、同じことをやっても結果が変わってきたりする。
そう考えると、人の心とか、思い、意識というのは、実はすごく微細に、繊細に、人の行動に影響を与えていると考えられ、つまりコイントスについても、何かしらの心理的作用や、実施する本人の思考などが、指先の力加減に微細な影響を与えているのではないか。
そう考えると、占いというのは直感を可視化するためのツールとも言えるし、だから未来を予知するものではないが、しかし、人間の本能的な「直感」自体が、実はそれに近い能力を持っているという意味では、似たような作用になるのかもしれない。
なので、決めかねる時に、占いで判断するというのは、実は合理的なのかもしれない。
もちろん、直感以外の、何か他の要素を謳うようなものではなく、コイントスとか、木の枝を倒してみるとか、いずれにせよ、オペレーターは自分であることが大切だろう。
さらには、占うためのツールも、自分の直感を引き出せるようなら何でもいいと言える。
ただ、例えば「次に目の前を通る車の色を当てる」とか、そういう形は「与えられた条件を自分が読めるか」だから、厳密には意味合いが違う。
直感を知る、というよりも、自分の判断や行動が間違っていないかどうか、の確認作業のような感じである。
そう考えると、概して直感を知るための作業は、その場で正解かどうかはわからない。
その結果がどういう未来に繋がっていて、それが自分の人生にどう影響するのか、を直感が知り、そちらに導くための選択をするのだから、答えは未来にならないとわからない。
なので、直感をまずは信じることが大切だろうし、自分の想像を超えたところに「正解」があることもあるので、迷わず進んでみることが直感を活用する、ということなのだろう。
振り返ると、私が普段する占いは「与えられた条件を自分が読めるか」という作業ばかりである。
たまには落ちている枝を拾い、それを立て、そして倒してみて行き先を決めるような占いをしてみるべきだろう、と思うのである。