バス占い。
バスの運転の荒さ。
混み具合。
踏ん張り具合い。
運転の荒さと踏ん張り具合いは連動するとも言えるが、やはり日によって踏ん張れる横Gの大きさは変わる。さほど荒い運転でもないのにふらついてしまったり、荒っぽい運転でもしっかり足が床を捉えていたり。
その他にも変数があるので、トータルしてどう読み解くかが難しい。
個々の事象ですら、それが何を意味しているのかわからないので、結局は総合的になんとなく、というところにしかならないのだが、こういうのも、しっかり研究したら、なんらかの言葉や意味が見えてくるのだろうか。
というわけで、バス占いは、世間にあるものではなく、なんとなく自分が個人的にやっている、毎朝の行事である。
個人的な感覚として、占いとかって、よくツールを使っていたりするのを見るが、あれはあくまで媒体であったりとか、それそのものに起きる事象に大いなる力を感じ取る鏡とか通信機みたいなもので、それがないとダメ、というわけではないと考えている。
逆に、ツールは何でも良いと言えるわけで、日常に転がっている何かを対象に観察を続ければ、なんらかの言葉が見えてくるのではないか、と。
毎日見る、聞く、感じる、というモノや事象であれば、何かを感じ取れるかもしれない。
バスの遅れに、何を読むのか。
自分の遅刻に、何を見るのか。
いつもいる客がいない。
不自然な程に空いている。
など、日々の中で、ちょっとずつ違っていて、それが何かを示していたとしたら、確かに便利だと思う。
まぁ、読めたからどう、というわけではない。
さすがに、占いで一日の行動を決めたりは出来ないので、ちょっとした暇つぶしというか、結論のない研究である。