kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

空気感。

私が成人する前ぐらいからですか、グローバル化という言葉が流行りました。

 

私はひきこもり気質なので、実際のところ、それからどれほどグローバル化が進んだのかは、体感としては知りません。

 

しかし、昔より、世界の国々の結びつきや関係が、より深く、広くなっていったのだろうと感じています。

 

 

そして、これまたひきこもりの体感ですが、グローバル化熱が一段落し、針が逆に触れていたのがつい最近という印象です。〇〇ファーストとか、ブロック経済、〇〇経済圏みたいな言葉が、それに当たるかもしれません。

 

完全無欠の体制、環境というのは桃源郷でしかありませんが、当時、仮にグローバル化に疑問を感じていた人からすれば、当然の帰結なのかもしれませんし、グローバルグローバルと、やっきになって世界をひとつの鍋にぶち込んでグツグツと煮込むようなやり方の弊害が、斥力を生んだのかもしれません。

 

 

ただ、グローバル化という活動というか、行動をしてきた事実は消えないので、今また個々のブロックなどを再構築しようとしても、グローバル化の影響は消えません。そして、それが今なんだろうな、と思います。

 

世界をひとつの鍋に入れてしまったせいで、どこの国でどんなことが起きようと、それがすぐに世界情勢や世界経済へ影響するようになったとも言えます。

 

 

例えば、昨年から続いている戦争も、世界中に影響を与えてますし、今日明日にでも発生が噂されている、アジアの大国による侵攻作戦もまた、多くの国に大きな影響を与えるのでしょう。

 

そして、日本も例外ではなく、風が吹けば桶屋が儲かる的に、どこで何が起こっても、常に判断を迫られるのでしょう。

 

 

グローバル化がダメだった、と言うつもりはありません。

 

ただ、グローバル化後の世界においては、ひきこもり精神では国は成り立たないでしょうし、判断に対する影響も大きく、都度都度の覚悟もまた、大きいものになっているのだろうな、と。

 

日本も、そういう覚悟が必要になっているでしょうし、そのように変わっていかないといけないわけですが、イマイチ、そのような空気感が伝わってこないなぁ、と、個人的に思ったりするのです。

日本は既に、出汁を取られた後の出がらしですか。