若い、と呼ばれる年齢だった頃、メール友達というやつで、遠方に住む女性と、しばらくメールのやり取りをしていたことがあります。
私より歳上で、もしかしたら今の私ぐらいの年齢だったかもしれません。
顔写真ぐらいは、部分的に隠して交換したような気もします。
いずれにせよ、メール以上の関係を求めるようなものでもなく、いつからか、メールが返ってこなくなって終わりになったような記憶です。
その人は、癌を患っており、その治療が一息ついたと思ったら転移が見つかった、ぐらいのタイミングで、私とメールを始めたと思います。
それで、また治療のために通院しているとか、それに対してそれとなく励ましてみたりとか、そんな感じでした。
転移発覚後の治療も、そんなに悪い結果ではなく、文章の上では、だんだん元気になっていったような記憶なのですが、その後、返事が来なくなりました。
リアルに接していたわけではないので、どれだけの攻防だったのかはわかりませんし、実際のところは知りません。
急変するようなことがあったのかもしれないし、もしくは、先のことを考えて、私には真実を言わず、黙って連絡を断ったのかもしれません。
ただ、当時の私は、そのような印象は抱かず、元気になったからだ、と思いました。直感というほどのものではないにせよ、自然とそういう風に受け止めたのだから、何かしらのセンサーがそう受信したのでしょう。
その人からすれば、終わりが見えない闘病で心も疲れていたと思いますし、メール友達を作る、ということ自体が、その苦しみや息苦しさを少しでも紛らわせる為とか、身近な人だと弱音も吐けないから、とか、そういう動機からだと思っていました。
だから、元気になれば、顔もよく知らない、会うこともないメール友達は、大事にするような存在ではないわけで、私もそれは納得できることなので、まさに「便りがないのは良い便り」と思いましたし、そういう役割で良いと思っていた記憶です。
今、職場で、同じ病で闘病中の方がいます。
その人も、転移があり、長く治療を継続しています。
女性で、年上で、元気な人なので、ふと、そのメール友達を思い出しました。
そして、職場の女性は、あまり雲行きが良くない方向へ、徐々に、向かっているようです。それでも、出来る限り、仕事を続けることを希望しているとのことです。
腐って仕事に身が入らない私は、恥じ入るばかりの思いです。
で。
そんな、職場の方を見ていて、やはりメール友達も、元気になったから、というより、何かしらの悟りがあり私と連絡を取るのをやめたのかな、と思いました。
身辺整理、というと大袈裟ですが、悟りを得て、「そこ」へ向かって歩むことを決めたのであれば、メール友達という存在は、中途半端で、余計なもの、でしょうからね。
でも、縁は縁です。
メール友達にも、私にも、そのメールを通じて話をした時間というのは、何かしらの意味を持つのでしょう。
それを見つけられたらなぁ、と思っています。