kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

重ねる対象。

私は、長いものに巻かれるタイプです。

 

「改革してやる!」とか、

「結果をだしてやる!」とか、

 

そういう、熱いタイプではありません。

 

 

そんな人間にとって、仕事で所属する部署というのは、そこがあらかじめ持っている雰囲気や風潮によって、本人の在り方が左右されます。

 

他力本願なことを言えば、私をうまく使ってくれれば、小賢しい程度の能力はあると思っていますので、何かしらの用には立つでしょう。

 

 

逆に、ボロボロの部署に配属され、それを立て直す、などの激務は、自発的にはやれませんし、やりません。

 

自分がもしそれをするのであれば、やはり私を「うまく使ってくれる」存在が別にあるときだと思います。

 

 

なので、ボロボロの部署に、ただホイッと配属されるだけでは、そのまま私も腐ってゆく、という構図になりますし、今、まさにそれだとおもっています。

 

 

最近、とある漫画のワンシーンを思い出します。

 

大企業で、かつては出世頭と目されていた、やり手の営業マンが、なんだったかの理由で出世街道を外れ、閑職で何十年も過ごしている。

 

そこに、主人公である企画責任者が声をかける。

 

 

一緒に、やりませんか、と。

 

 

これだけならただのいい話ですが、その企画というのは「リストラ」。

 

そして、まさにリストラされる筆頭は、閑職にいるその人。

 

大企業なので、他にも対象はいるわけですが、つまり、自分達のリストラをするために、彼は声をかけられた、ということです。

 

 

昔の漫画ですし、好みの分かれる内容だと私は思いますが、ドラマにもなりましたから、そこそこ人気はあったのかもしれません。上記のストーリーはドラマにはなかったと思いますが。

 

 

なぜ、この漫画の、このシーンが思い出されるのでしょうか。

 

多分、読んでいた当時の自分は、自分を主人公に重ね合わせていた。リストラをする苦労もそうだし、懐に飛び込んでいく人心掌握術もそうだし。主人公の生き方も、でしょう。

 

 

今は、主人公に声をかけられた「元出世頭」に、自分を重ねてしまうのでしょう。

 

 

まだやれる、と、いつか風向きが変わるのを待ち続け、くすぶったまま終えてしまうのか。

 

思い切って、外に飛び出すのか。

 

ただし、飛び出す準備は何もしていないので、覚悟を決めないとなりません。

 

 

まぁ、まだそこまで切羽詰まった状況にはありません。

 

もし、会社がリストラを考えるのなら、筆頭に上がるだろうな、という自覚があるに過ぎません。

 

 

今年は、そういうことを考える年、いや、考えた上で、何かしら動かないといけない年かもしれません。

 

 

ちなみに、紹介した漫画は、

「いいひと。」

という漫画です。ご一読ください。