旅行の、お土産、という文化が苦手である。
なんかこう、
「〇〇へ行ってまいりました」
というのは、必要な公的行事であればいざ知らず、私的な娯楽としての旅行でそれをする意味と、必要性が、いまいちわかっていない。
ちらっとググってみると、お伊勢参りだとか、そういう参拝行事がお土産の由来だと書いてあった。
村の皆でお金を出し合って、くじ引きで代表を決め、その人が村の代表として参拝の旅をする。代表は、確かに参拝した証として、御札だかをもらって帰る。
これは、いわば村の公的行事であり、証拠として持ち帰る品なので、必要だろうと思う。
一方で、多くの人が私的な旅行をする現代。
自分の金で旅行に行き、自分のために楽しんだり経験したりしてくるのに、誰に断りも要らないはずだ。
お金の問題ではなく、手間の問題でもなく、ごくプライベートなことだし、今日び、行き先なんてゴマンとあって、行き尽くされた観光地の物品などは、そんなにレア感もないだろうし、逆にマニアックなお土産をもらっても、お返しが大変というものである。
これは、私の中の論理なので、誰に強要するわけじゃない。
ただ、私はそんなスタンスなので、旅行をするにしても、例えば職場で誰かにそれを告げてから行く、ということはまずしない。
そして、帰ってきても、何食わぬ顔で勤務に復帰する。
どこか出かけたのか、と聞かれても、特に出かけたとは言わない。
一週間も二週間も休むなんてことは皆無であったので、そのように聞かれること自体が稀ではあるが、たまに有給休暇を取得しても、家でダラダラしていたことにしている。
たまに、デスクにポツンと誰かのお土産であろうお菓子が置いてあったりするのだが、そんな気遣い、少なくとも私には要らないのに、と思う。
旅は、もっと自由に、何に束縛されることなく、自分のためだけに、楽しめばよい。
と、たいして旅をしたことがない私が、偉そうに言ってみる。
ちなみに、〇〇に行ってまいりました、という文化に馴染めないもうひとつの理由に、どこかドヤ顔を感じてしまうのもあると思う。
「ちょっと、おフランスの方へ行ってまいりましたざ〜ますのよ」
的な、
「やはり〇〇は舶来物に限りますな」
的な、
金持ちが金持ちであることを自慢するためにわざわざ買ってくる、みたいな要素を嗅ぎ取ってしまうのである。
まぁ、これに関しては、今ではおフランスごときじゃマウントは取れないし、舶来物よりも優れた国産こそ日本の誇り、ということもあり、あまり見かけなくなった。というか、効力がなくなった。
ただ、少なくとも、隣県やもうひとつ向こうの県の小旅行ぐらいでは、土産認定すらされないのではないかなぁ、と思うのである。