kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

夢の中の故人。

最近、父親が夢に出てくることがチラホラあります。

 

もともと夢はあまり見ないので、出現率からすればかなり増えているのかなと思います。

 

 

もちろん、ストーリーの中心ということはないですし、会話をしても、たいして重要な話をするわけじゃない。

 

故人が夢に出てくると、みたいな話があり、故人が伝えたいことがあるとか、夢を見る本人の生き方に間違いや迷いがあるとか、そんな風に聞いたことがあります。

 

 

心霊的な話ではなかったとしても、本人の心理描写の現れとして出てくるというのは、まぁ、わからないでもない理屈です。

 

その故人が、自分にとってどういう位置付けにあったのか、ということでも変わってくるでしょうし、そこらへんを紐解いていけば、自分が今、どのような心理状態にあるのかが、わかる気もします。

 

 

私の父は、ほぼ二十年前に他界しており、いない生活が当たり前になっています。

 

私にとっては大きな存在でしたし、自分を庇護する存在そのもののイメージは持っていると思います。

 

また、父は優秀な人でしたが、私はそうではなかった。多少、頭の回転が早そうには見えますが、根本のところが違う。

 

息子は父のコピーである必要はない、というのは、父が亡くなってから思ったことですし、親の七光りで生きる自分からの脱却も、いわば父が死をもって促してくれたとも言えますから、親として教えること、伝えることは、死の瞬間、いや死してなおあるのだなぁ、と、しみじみ思います。

 

 

我が家は短命で、祖父が60代、父が50代半ばで他界しており、この法則でいけば、次の代は40代。

つまり私ですが、するとあと少ししか生きないことになる。

 

それはさすがに根拠のない話だとしても、父が亡くなった年齢を過ぎるまでは、この、そこはかとなく感じている寿命について、ふとした時に感じる日々が続くだろうとは思います。

 

 

脱線しましたが、昨日も夢に出てきました。

 

ただ、特に何かを訴えるでもなく、仕事に翻弄されて右往左往している私を、なんとなく、励ましてくれていたような夢でした。

 

 

自分の生き方に自信は持てていません。

諸行無常と言ってしまえば、みんな同じ境地なのかもしれませんが、地に足がついているような感覚などはなく、あぁ、これが自分なんだな、と感じるには、まだまだ積み重ねが必要だと思います。

 

ただ、冒頭に、夢はあまり見ないと書きました。

それでいて夢を見るというのは、私の解釈としては、疲れていないので眠りが浅い。

 

つまり、生きることに一生懸命になっておらず、体が、頭が、疲れていないのだと思います。

 

確かに、2年前に内勤職に異動し、さらに色々と納得できていない部分があり、仕事ではいまだに自分の居場所を見出だせていません。

 

 

つまり、仕事や生きることに懸命になっていないから夢を見るのだろうし、そんな心持ちだから、その夢の中に父親が出てくる。

 

 

うまくまとめてみたところで、多分、色々と見直す時期なんだろうと思います。

 

仕事の適性や向き合い方、酒の飲み方、趣味の持ち方など、つい若い頃の延長で続けていそうなところを、年相応に見直していかないと、それこそどこかで何かが起きそう。

 

そんな中年です。