kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

はてなブログ「今週のお題」

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

この数ヵ月を遡って、ちょっといいこと、を探してみたのだが、ピンときていない。

 

例えば旧知と朝まで飲んだ、というのは「ちょっといいこと」に含めてもよいと思うのだが、なんせもう書いてしまっているので、さすがにもう一度は書けないだろう。そして、いいことより、反省の要素のほうが色濃い。

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「最近あった」という括りは、つまり単発ものとして考えるので、継続して続いていることは対象に含まれるのかどうか。

継続しているそれ自体をひとつの現象、出来事として捉えればそれでも良いのだと思うが(例えば仕事で重要なポジションを担うことになった、など)、そもそもそういうことも見当たらなかったので、考えるだけ時間のムダであった。

 

また、最近というのは、どこまで遡ってよいのだろうか、という悩みも抱えることになる。

 

例えばこの一週間前後、などと言われたら、どれだけ掘り下げても出てきそうにないし、一年前後という範囲は、もはや「最近」ではないのではないかと。

 

一年ごときはまるで昨日のこと、というのであれば、それは時と精神の進みに解離が始まっているのであり、

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やはり「最近」というのは、せいぜい半期、いや四半期ぐらいに留めておくべきではないだろうか。

 

 

ここ四半期であった、ちょっといいこと。

 

つまらない、捻りのない、阿るような答えで申し訳ないのだが、私が「いいこと」「よかった」と思える出来事は、ブログを始めたことだ。

 

まず、趣味っぽいことを始めることができた。

 

本来なら趣味をブログで紹介、というのが正しいのかもしれないが、なんせ無趣味なもので、ブログを始めたことにより、日々に何らかの張りが出たのは確かである。

 

さらに、やはりやってよかったと思う大きな要素は、他の方のブログを積極的に読むことになり、そこで様々な考え方、生き方、在り方に触れることができるようになったことだろう。

 

日々、職場などで人には接するが、では、それらの方々の生き方や在り方に、どれだけ触れたことがあるかと考えると、実は、そこまで理解して接している人などほとんどいないことに気付く。

 

うわべ、とまでは言わないが、やはり仕事上にある接点で、仕事によりつながっている感が強いので、それらの人の「在り方」までに触れることは、そう多くない。

 

一方で、ブログというものは、物理的接点がない割に、書き手の「在り方」に触れる機会は割と多いと思う。

なので、純粋に学びになるし、参考になるし、そういう人が、会ったことはないにせよ、どこかに必ず存在しているのだ、と考えると、それが既に「ちょっといいこと」であるのだ。

 

 

かくいう私も、私という存在の「在り方」を示すために始めたという要素もあるし、それでこの「在り方」が誰かに対して何かの参考となっていると仮定するならば、それをもって私がブログを始めた意義の一部は達成していることになる。

 

 

なので、記事を読ませて頂いているだけでも、現実的に知り合ってみたい、と思うような書き手は実際に多い。

それは「尊敬」だけではなく、根拠のない「愛着」だったり、自分の知り得ない生き方をしている「先達」だったり、その要素は様々だ。

 

ただ、日頃からブログで書いているように、私は人付き合いが得意ではない。

せっかくのきっかけを「一期一会」で終わらせたくない、という欲求もあり、すると安易に「会いましょう」「何かやりましょう」と接近するのは得策ではない。

いつか、大きな動きの中で引き合わされることを期待しながら、それをそのまま胸に抱きながら終わる、というのが正しい「在り方」だろう。

 

 

なので、ブログを始めた、という「ちょっといいこと」は、書き始めた、というより、読み始めた、という要素の方が大きい。

 

そして、そんな人らと、同じフィールドで自分も書いている、という自己満足感こそが、最近の私の「ちょっといいこと」なのだ。

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