kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

老いと物理。

年齢を重ねるにつれ、体内時計の進みが遅くなる。

 

お年寄りが、10年前のことをまるで昨日のことように話すのは、この体内時計の進みに問題があると思っている。

 

これは、体感しないとわからない現象で、探せば研究している学者もいるのかもしれないが、ともかく若いと言われる人にはなかなか理解しにくい現象だ。

 

時計の進みが遅くなる、という点だけで考えると、それが体内時計であることは置いておいて、時の進みが遅くなる=速度がより光速に近づいている、と言える。光速度不変の法則だ。

 

いきなり突拍子のない話で恐縮である。

また、私は理系でもなんでもないので、詳しくは身近な理系にお訊ね願いたい。

 

では、何が光速に近付いているのか。

それはおそらく、老いる速度であり、精神の時を進む速さだ。

 

恐縮だが、そのまま話を続ける。

 

生物は、老いてくると若い頃のように機敏な動きが出来なくなってくる。仮に同じ速度、テンポで動いたら、体が追いついてこれず、ケガをするだろう。早口も苦手になっていき、全体的に動きとしては緩慢になってくる。これは仕方のないことだ。

 

だが、頭の中、心の中、精神は、そうではないと考えるのである。感情、思考などは衰えることなく、常にトップスピードを保っているのではあるまいか。

 

なので、動作は緩慢でも、頭の中は一定スピードであり、これは逆に考えるとわかりやすい。

彼の動作をムービーで録画し、その動きが若者と同じ動作速度となるよう、再生速度を変える。

それが仮に2倍速だったとすると、彼の頭の中は、若者の2倍の速度で思考が巡っていることになる。

 

つまり、世の中の時の流れに、動作を合わせるのか、思考速度を合わせるのか、という問題で、思考速度を合わせているから、動作は緩慢になるのだと言える。つまり、実生活を0.5倍速で過ごすことになるわけだ。

 

この仮の数値でソロバンをはじけば、世の中の10年は、彼の5年である。倍速率により、その10年の「縮み具合」は変わってくる。

 

これが、「昔のことを昨日のことのように話す」の正体だ。

 

では、いつぐらいから、どのぐらいのペースでこの現象は始まるのか。そもそも、どうしてこのようなことが起きるのか、については、残念ながら私の通勤時間の間だけでは発想し得なかった。そして、身近な理系でも多分、わからないと思う。

 

では、なぜ、こんな妄想話を取り上げたのか。

 

どうも私は最近、体と心の速度の乖離が、はじまってきたようなのである。

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