kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

独り言。

神社に参拝すると、たまに、すごく長く、手を合わせている方を見かけます。

 

私個人の知識の範囲では、神社の参拝は、お願い事というより、日頃の感謝やご挨拶、という意味合いと承知しておりますので、どこか違和感を覚えてしまいます。

(※あくまで個人の感想です)

 

また、人の、日本人の行為として自然と出るものなんでしょうけど、神社で手を合わせる、というのも、やはり違和感を感じてしまいます。参拝作法は掲示してあることも多く、お願い事をするならなおさら、そういう部分は守った方が…などと思ってしまいます(老婆心)。

とはいえ、こうやる、とはありますが、手を合わせるな、などと書いてあることは、私が知る限りはなかったので、思いから出る行動は容認されるのかもしれません。

 

 

総じて、信仰心などが大前提にあるでしょうから、たとえ作法等がしっかりしていたとしても、そこに心がなければ、それは失礼にあたるかもしれません。

間違っていても、そこに信仰心があれば、その方がよっぽど大切なのでは、と思います。

 

というわけで、参拝作法に関して蘊蓄をたれた所で、私自身はどんなに作法をしっかり行っても無礼なヤツだと思いますので、こうしてここでつぶやく程度にしているわけですが。

 

月に一度ほど、とある神社に詣でるようにしています。といっても、まだ数回ですが。

それこそ願掛けみたいな感じになっていそうですが、もう少し自分寄りというか、自分が忘れないように、自分が少しでも自分を律していけるように、という感じです。

 

刻々と状況が変わっていく中で、あちらの希望、こちらの思い、なかなか綺麗に編むことができません。

その中心には自分がいますので、自分でどうにかすべき環境ではあります。

 

今は、あまり赤裸々には語れませんが、そんな中で、少しでも多くの思いが良い方向に向くように、自分がピッとしないとなぁ、ということでの行動です。

 

なので、熱心に参拝している方にあれこれと蘊蓄をたれる私というのは、実は一番滑稽だったりするのです。

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ええぃ、煩悩よ去れぃ!