kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

髀肉之嘆。

髀肉之嘆、という言葉がある。

 

三国志の時代、三国のうち蜀漢を建国した劉備にまつわる故事だ。

 

簡単に説明すると、いい歳こいて自分の城も持てず、一勢力の下で飼い殺しにされている、という現状を嘆いた言葉である。

この頃の劉備は、今の私ぐらいの年齢だったと記憶している。もう少し上だったかもしれない。

髀肉之嘆の後、親子ほど年齢差のある諸葛孔明と出会い、そこから蜀漢建国へとストーリーが動き出す。


実際の劉備がどういう人物だったかは置いておくが、それにしても、折れかけたことはあるにせよ、その志(野望と言ってもよいと思うが)を、年齢や逆境に負けず持ち続ける、というのは、すごいなと思う。


私が、今まさに奮起して何かに向かって努力する。

 

ん~、たぶん無理。


そして、現実に20代の若者に出会い、その教えを乞う、もしくはその提案を容れる、というのも、なかなか出来ないことだと、このぐらいの年齢になってくるとよくわかる。

やはり、案がよくとも、それは実体験に基づかない「理想論」「机上論」と見るのが、一般的な物の見方ではないだろうか。内容よりもその実績、経験値で見てしまう。


若い新入社員が、やったことのない会社経営の方針をぶちあげ、社長がそれに傾倒するわけだから、そりゃ百戦錬磨の役員、重役は心中穏やかではないだろうし、場合によって、社長は大丈夫か?と、組織崩壊のきっかけにすらなりうることだと思う。
当時の関羽張飛の悩みも深かっただろう。

 


そして私。やはりそんなことが出来る自信はない。やはり、劉備は英雄のひとつの形なのだろうと感じる。


このような故事は、英雄を身近に感じるよいネタと言える。
劉備であっても、飼い殺されている時、自分を嘲るときもあったんだ、と。

だから、自分も同じでいいとは言わないが、でも、腐ってしまう時だってある。でも、これで終わりではない、と、そういう、自分への慰めみたいなものだ。


今回、このようなテーマ取りをしたのも、そんな私自身の慰め。

今の私は、以前の働き方から想定されるのとは、置かれている環境がだいぶずれている。

言ってしまえば、閑職ではないが、それに近い部署にいる。


こうしていると、やはり、なんだかんだストレスなどは溜まるが、毎日を忙しく過ごしている方が充実しているんだなぁ、と実感せざるを得ない。

 


昔、まだ若い頃、この「髀肉之嘆」に自分をなぞらえて、今は雌伏の時だ、などと自分を慰めていたが(黒歴史)、劉備と同じ年代になり、同じ故事から当時とはまた違ったニュアンスの慰めを頂いている次第だ。

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さすがにここまでではない…はず…