来客があり、呼び出しをされる。
社会人ともなれば、そのようなシーンに出くわすことも珍しくないでしょう。
私が人生で初めて「来客による呼び出し」を受けたのは、幼稚園生の時でした。
園庭で友達とコロコロ遊んでいる時に、先生から呼ばれ、お客さんだよ、と言われたのです。
当然、心当たりもないし、親が来たなら、お客さんとは言わないだろうし、誰なんだろう。
おそらく先生の後についていく私の眉間には、立派なシワが寄っていたことでしょう。
園舎の裏口にまわり、先生から引き合わされたのは、見知らぬオジサン(幼稚園児比)と、抱き抱えられた、同年代ぐらいの男の子でした。
その子は、見覚えがあります。
当時、年が近い従兄弟が近所に住んでいて、よく一緒に遊んでいたのですが、
そこに、いつからか混ざって一緒に遊んでいた子でした。
後から聞いた話では、従兄弟と同じマンションに引っ越してきた子とのことでした。
そんな事情はどうでもよい子ども3人は、仲良く毎日のように遊んでいました。
呼び出された時、その子は何も声を発しませんでしたが、かわりにオジサン、いや、お父さんが私に話しかけてくれました。
今まで、ありがとう。
彼は、お父さんと一緒に、別れの挨拶をしにきたのでした。
仲良くなった事情もおぼえていない幼稚園生の私は、当然、別れの意味もよくわかりませんでした。
その日を境に、私は彼に会っていません。
子どもと大人では、時の流れが違います。
当時の私が振り返る限りでは、そんなに短い期間という印象はなかったのですが、
たぶん彼は、どこの保育園にも、幼稚園にも通っていなかった。
だから、近い年頃の従兄弟しかまわりにおらず、その遊び仲間である私しか友達がいなかった。
だから、かどうかはわかりませんが、今、そこから推測されるのは、
私の街には、ほんの短い「滞在」に近い居住だったのだろう、ということです。
オジサン、いや、お父さんは優しそうな人で、通常に暮らしていれば、子どもを幼稚園や保育園に通わせない、なんてことはしそうになかった。
一時でも入園させる、ということもしない、または出来ないほど、短期間の滞在だったのだろう。
1ヶ月とか、数週間とか、そのぐらいの期間だったのかもしれない。
もはや覚えていないですが、別れの挨拶の時、オジサンから外国の名前を聞きました。
それがどこなのか全然わからなかったけど、もう会えないんだろう、ということは、子ども心にすぐわかった。
すごく、遠いところに引っ越すんだ、と。
彼は、一言も発しませんでした。
最初はこっちを向いていたけど、途中からは横を向いて、指をくわえていたかもしれない。
その姿勢のまま、去っていく2人を見送った。短い時間だったけど、わざわざ挨拶にきてくれた親子に、なんか、温かさと寂しさを感じたのを覚えています。
幼少の私の勝手な妄想だけれど、たぶん、会いたいと言ってくれたのは、彼なんだと思います。
でも、会ってしまったら、言葉に詰まってしまったんだろう。
呼び出しを受けた、私と同じように。