40歳は、不惑の歳と言います。
「四十にして惑わず」という、論語の言葉でしたかね。
また、50歳は「知命」とのことで。
自分の宿命を知る、という意味だそうです。
私の場合の不惑は、迷いがなくなるというより、迷いようがなくなる、という感じが近いかもなぁ、と思います。
一般的には、やり直すとか、退くということが難しくなる年齢。もはや、この道で行くしかない、という、消去法的な不惑。
なので、知命も、諦めみたいな、自分の程度を知るといったニュアンスだと想像しています。自分はこのために生まれてきたのだ!というよりかは、あぁ、自分はこんなもんなんだなぁ、みたいな。
若い頃に、重耳、という、古代中国の覇者の小説を読みました。この人は色々あって諸国を転々と歩き続け、晩年になって母国、晋の君主となり、覇者となった人です。
読んだ当時は、晩年になって君主になってもなぁ、と思ったのも確かです。確か、在位も数年とか、そのぐらいだったような。
この人にとって、知命は何歳だったのだろう。あくまで宿命を知る、ということなので、必ずしも君主の座が見えた時というわけではなく、若い頃から志していたかもしれないですが、やはり、放浪の旅の途中で、めげそうにもなったみたいです。小説の演出かもしれませんけども。
三國志の劉備はその点、知命は早かったというか、その宿命を信じて疑わなかった人、という感じもします。
今の私の年齢ぐらいでも、まだ自分が治める国もなく他国に居候をしており、その後に一大決戦である、レッドクリフ、赤壁の戦いですからね。
楚漢戦争での劉邦も似たようなものというか、彼はさらに極端で、まわりに担がれて皇帝になった感があり、知命は遅かったかもしれません。
項羽と激戦を繰り広げている頃にはもうオッサンですし、そもそも、しがない役人である中年のオジサンが、なんとか明日を生き延びるために国家に反旗を翻した、というか処罰を恐れて山に逃げたのが始まりという、場当たり的なデビューです。
と、やるせない時はいつもこうして、歴史上の人に慰めてもらっています。
私の出っぱりつつあるお腹は、果たして髀肉之嘆か、生活習慣病か。
知命は、まだまだ先のようです。