他の方のブログを読んでいると、考えるきっかけをもらうことがよくあります。
先日も、ブログを拝読している中で入ってきた言葉があります。
自分が困窮した場合、頼れる友人、知人がいるのか。
私は友人を作るのが下手です。
作るのが下手というより、作った後に継続していくのが下手です。
だから、予め作らない、という方が正しいかも知れない。
しかも、下手、という言葉に逃げましたが、その本質は自分がワガママなだけです。
もっと言うなら、自分独自のルールや優先順位があり、それが世間と乖離している気がしております。
私がありのままに振る舞えば、付き合いが悪いどころでは済まず、恩知らずとか、そのレベルでの非難を浴びるんじゃないかと思っています。
それがわかっているから、そんな自分に耐えられないから、あまり人と距離を縮めないのだと思います。
この価値観にはほんと悩まされており、世話になったからお礼をするとか、そういう文化すらわかっていません。
せめてもの救いは、自分が誰かを助けても同様なので、わざわざお礼をしようとしてくれる人の気持ちがわからない、という意味では、自分にも公平な価値観ではあります。
お礼をしないといけない、となると、それは“貸し借り”みたいな意味合いになってしまう気がしますし、もしそうなら、やはり誰かに“借り”は作りたくないです。借金みたいなもんですからね。
だから他人へも“貸し”にはしたくない気持ちがあります。
なんか話が逸れました。
なので、自分は親しく人付き合いをしません。
本当に困って、借りを作ってでも助けてもらいたい、と考えても、おそらくそれを申し込める相手はおりません。
逆はどうかというと、こういうスタンスなので、頼まれれば、出来ることはやりますし、それに苦痛は感じないと思います。
ただ、お金もないし、手に職もないし、家族を犠牲にしてまでの義侠心も出せません。
よって、
「僕だからこそあなたを助けられる」
というシチュエーションは発生しません。
私を頼るぐらいなら、もっと頼りがいのある人がまわりにゴロゴロいるかと思います。
なので、貸し借り、損得で考えても、私をあえて助けようという人はいないでしょう。
私を助けても、恩にも感じないし、仮に感じても、それを返すスペックを何一つ持っていないからです。
ネクラな話で申し訳ありません。
ただ、だからといって今からでも損得を超えた友人を作る、という気持ちにもなれませんし、そのために無理をしながら生きていくのもどうなのか、と思いますので、まぁたぶん、このままなんでしょう。
ちなみにこの価値観は、いわゆる配偶者ともずれているので、日頃よーく叱られますが、直りません。