鍋をつつく、という言い方がある。
卓上にカセットコンロなどを用意し、グツグツ言わせながら、湯気でメガネを曇らせながら、皆で鍋料理を楽しむ景色に用いられる。
つつく、というのは比喩で、箸で具材をとりあげる時のサマを表現しており、続けて考えるなら、おそらくそのまま口に運ぶというより、取り皿に一度おき、そこからハフハフして食べるものと思う。
おそらくであるが、つつく、と表現するのは、何度もそれを繰り返すからではないか。
例えば今、目の前でグツグツ言っている鍋を、ガッツリ人数分に均等割りし、一気に取り分けてしまうのであれば、それは、つつく、という表現からは遠い。
皆で鍋を囲み、「つつく」のが、この料理の醍醐味ではないか。
私はそのように考えるのであるが、世の「鍋感」はどうなのだろう。
なので、私の感覚として、鍋の受け皿、取り皿というのは、いわゆる市販の土鍋セットについてくる取り皿サイズが望ましいと考えている。居酒屋などでも、鍋を頼むと出てくる取り皿だ。
なぜなら、取り皿が大きいと、それは鍋をつつく、という行為を失わせるからである。
定食などで汁物として出すのであれば、ちょっとこれは少なく過ぎないかオヤジさん、と文句をつけたくなるぐらいのサイズ感でよく、だから「何度も鍋に箸をむける」、つまり、つつく、という行為に結び付く。
また、熱くて少し冷ます場合にも有用で、がっつり取り分けた器だと、放熱にも時間がかかる。
私の、いわゆる配偶者は、取り皿をどんぶりで出してくる。
そして、オタマを使って、がっつり入れる。
食事を効率的にこなすのであれば、別に悪い方法ではないのだが、しかしそれであれば、わざわざ卓上に鍋を置く意味が希薄ではないだろうか。
一杯を食べきるのにそこそこの時間がかかるのだから、その間、ずっとグツグツやっているのもガスの無駄であるし、じゃぁおかわりの時に温めよう、というのであれば、鍋はキッチンにあればよいような気もする。
なので、小さい取り皿を所望し、今はその取り皿を使用しているが、いわゆる配偶者がどう思っているのかは、怖くて聞けない。
また、その方向に全フリしたのが私の母で、いつからだったか、今日は鍋、と言われても、家族の前に鍋は出てこず、キッチンからでっかいお椀に盛りつけて出てきた。
また、楽だから、だったか、好きだから、だったか、いつも味噌仕立てだったので、私の中でそれは、鍋ではなく、豚汁の延長だった。
鍋を、どの頻度で行うかにもよるだろう。
いわゆる配偶者は、健康のためだかダイエットのためだか、とにかくこちらが気を抜くと、連日、鍋にしようと画策する。作るのが楽、というのもあるみたいだ。
それならそれでかまわないので、その都度、カセットコンロ用意して、目の前でグツグツやるよりも、私の母のような割り切りをしてもよい頃合いではないか、と思う今日この頃である。