kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

スピリチュアルというもの

例えば、テーブルの上などに置いてあった物が、特に何もしていないのに、床に落ちたりする。

誰でも何度かは経験のあることだと思います。


この現象について、発生当時の様々な条件を洗い出して紐付け、「だから落ちた」と結論付けるのが、いわば現代の科学的な見方と言えましょう。


それに対し、五感で感じることは出来ないものの、何らかの「存在」による意思によるものだ、と考えるのが、オカルトというか、スピリチュアルと呼ばれる見方と言えましょう。


私は、そういう「非科学的」な見方も、嫌いじゃない人間です。ただし、少なくとも自分には、そういう能力やセンスは皆無なので、だからこそ否定することも出来ない、とも言えます。


こういう「非科学的」な見方や考え方は、やはり、わかる人にしかわからない、という面が、万人が受け入れるには抵抗がある部分でしょう。

逆に言えば、誰もがわかる、納得できる説明、経験が出来れば、何らかの現代的学問として、もう少し広く認知されるのではないかと思います。


能力もセンスもないのに盲信するのは、例えば映画や漫画のSFを信じるのに似ています。魔法が使えたり、空を飛べたりするのを信じるのに似ています。


空を飛ぶ、ということを、誰もがわかるように、現代的な説明ができれば、もっと多くの人が、それを事実として受け止めるでしょうし、それに対する「科学的な研究」も盛んになり、もしかしたら本当に人が空を飛ぶ、という社会が実現されるかもしれない。


現代では、科学が「万物を解き明かす」と、期待されている学問です。また、実際に多くの疑問を解き明かしてきた実績があるから認知され、何かしらの事象が起これば、まるで無意識に呼吸をするかのように科学的見地に立って考察されるのが現代です。


それでも、なかなか科学的に説明が思いつかない事象も、あると言えばあります。


思いつきで、友人と二人で出かけたとします。

出先で、おもむろに友人が「憑依」され、別人のようになってしまったりしたら、とっさには科学的根拠が見つかりません。

まず、動機が不明です。別人のような行動を取ることの目的もメリットも、皆目見当がつきません。

何らかの外部からの刺激があったにしても、なぜ友人だけなのかがわかりませんし、何かしらの明確な「外部からの刺激」も見当たらないのであれぱ、これも解決には結び付かない。


仮に科学的に理由がわかったとしても、おそらくスピリチュアルとしては、なぜその友人がそのような目にあったのか、とか、なぜ自分は無事だったのか、という部分において、その方面からの理由付けをするでしょうし、それに対しては証明も解明もできないので、結局、信じる人だけが信じる、ということになるのでしょう。


いやね。


経験があるんですよ。そういう。


当然、意味はわかりません。わざわざそんなことをする理由も、そんなことになる明快な理屈も。


で。


結果的に私がとった行動が、即席「織田無道」でした。若い人は知らないですね。よく心霊番組に出ていたあの人です。
ずっと後になって、やらせだったこととか、自分はそんな能力はない、みたいなことを暴露していたような記憶もありますが、まぁ、いわゆる霊媒師としてお茶の間の人気を博した方です。


見よう見まねで、背中をバシバシ叩きながら、「エイ!」とか声も出してみました。
夜中だったので、近所迷惑だし不審者だし、ユーレイよりも近所のクレームのほうが気になっていた記憶があります。


でも。


それでなんとかなっちゃったあたりが、ますます奥が深いですよねぇ。

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