貧乏ゆすり、という、無意識の動作があります。
一般的には良くないものとされ、だからこそこんな名称になっているのでしょうが。
なぜ、貧乏ゆすり、なのでしょう。
貧乏ゆすりをすると貧乏になる、という理屈なのであれば、この言葉が出来る以前に、貧乏ゆすりをする人に貧乏が多かった、という事実があったと考えられます。
ただ、貧乏ゆすりをしたから貧乏になったのか、貧乏だから貧乏ゆすりをするようになったのかはわかりません。
ただ、結果として、貧乏ゆすりをする人は貧乏、という事実があり、いずれのパターンにせよ、貧乏ゆすりをしないことで貧乏になることを避ける、という考え方なのかと思います。
貧乏ゆすりの経験がある方はご存知だと思いますが、あれって、微妙にカカトを浮かせていることが前提にあると思っています。または、浮かせようという動作をする。主は「カカトを浮かせる」で、その結果の反応が「カカトが落ちないように再度浮かせようとする」。この2つの行動を交互に繰り返しているのが貧乏ゆすりだと僕は解釈しています。
すると、ではなぜカカトを浮かせようとするのか。いや、むしろつま先の問題で、なぜ座っていながら「つま先立ち」をしようとするのか。
背の高いオサレな椅子に座ると、自然と床についている足が貧乏ゆすりのような現象になることがあります。これも同じ理屈だと思いますが、こちらはつま先立ちが主で、カカトが落ちると姿勢が崩れるからカカトをあげる、という動作です。
本当の貧乏ゆすりは、そんな必要のない、フツーの椅子でも発生しますので、こちらの場合は、カカトを浮かす、もしくはつま先立ちをするためにカカトを浮かすのが主です。
僕も昔は貧乏ゆすりのクセがあり、よく親に怒られたものです。
もちろん、貧乏になるよ!ではなく、お行儀が悪い、と。
でも、これが理由としては正しいところなんだと思います。
貧乏ゆすりに限らず、お行儀が悪いと、やはり人から嫌われます。人から嫌われていたら、何かと不利益も生じます。なので、やはり裕福にはなりにくい。つまり、貧乏になる。そういう理屈なのかと。
では、なぜ貧乏ゆすりは「お行儀が悪い」になったのか。
あの、せわしない雰囲気がよくないのでしょうか。動きがこまかく早いので、確かにイライラしている風にも見えます。
後は、音もあるのかもしれません。椅子が軋むとか、靴のカカトがいちいち鳴ってしまうとか。
なんてことを、駅のベンチで考えていたら、同じベンチの反対側の端に座った人が、激しめの貧乏ゆすりを始めたんです。
あぁ、こりゃ嫌われるのもわからんでもないですわ。ベンチ丸ごと揺れてますもん。
貧乏ゆすりを、絶対するなとは思いませんし、それで貧乏になるとも思ってはいませんが、環境は気にした方が良さそうですね。