異常気象、異常気象と、毎年のように聞く。
毎年なのだから、そろそろ異常気象と呼ぶのも考えなければならないのでは、と思ったりもしている。
ただ、四季があり、気象現象が季節の風物詩だった時間が長くあるので、その悠久の歴史と同じ線上にあると思えば、確かに今はまだ異常な気象であるが、あと数十年もすれば、観測史上という枠の中では、異常ではなくなるだろう。
ただ、これまでの正常な気象と違い、パターン化、ルーティン化という意味では今の気象は弱く、さて今年はどんな気象の一年になるのか、と、毎年、構えを新たにせねばならない。
その安定性のなさという意味では、正常な気象に昇格するのは難しいかもしれない。
さて、愚痴愚痴と冒頭から書き連ねたわけだが。
ここのところ、梅雨、という現象が曖昧で、なんかこう、モヤモヤしたものが残る。
今現在は、各地で洪水被害をもたらす大雨状態だが、梅雨明け宣言なく雨が降れば、それは理由がどうあれ私のような愚者には梅雨の雨であり、つまり今も梅雨の長雨の最中である。
もう、目の前に海の日がせまり、子どもたちは夏休みまでカウントダウン状態だ。
私の知る梅雨というのは、一学期の真ん中から後半にかけて発生し、ネガティブに言えば、なんとか五月病を乗り換えた老若男女に、間髪入れず与えられる次の試練であり、心も梅雨空のようにスッキリ晴れないものである。
終わりがあると思うから耐えられるのであり、終業式までこの天気では、子どもたちは気持ちを夏休みモードに切り替えるのも難しいだろう。
まぁ、私世代が子供の頃は、夏休みモードの気持ちは、けして良い意味は持たなかったが、それにしても梅雨の鬱屈とした気持ちのまま、夏休みを迎えるのは心の健康上も良くないだろう。
急激な気温の変化に、セミも出てくるタイミングを見誤ったと聞く。ただただ暑いばかりでセミが鳴かない景色というのは。これはこれで鬱屈としたものだ。
セミがやかましくないているからこそ、あぁ、夏なんだなぁ、と、その暑さも四季として受け入れることができるが、暑いばかりで無音の世界は、そりゃ異常気象だ、と言いたくもなる。
人類を不幸にするために存在するかもしれない「不幸の大王」は、そんなタイミングで、こんな気象のなかでも長期休暇などに希望を託す人々に、抜け目なく第七波をけしかけてきた。
すでに電力不足など、様々な不幸を矢継ぎ早に繰り出しており、第七波はトドメに近い影響力があるだろう。
お盆の真ん中ぐらいは、私も幾日か休みを入れようと思っていたのだが、今年は無理そうなスケジュールであり、第七波の影響を受けないと言えばそうなのだが、これもささやかな、不幸の大王からのプレゼントである。
来年のことを言うと鬼が笑う、というが、来年は、昔ながらの夏を過ごしてみたいものである。