kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

ねつ造とコスパ。

心霊写真特集、みたいなYouTube動画がお勧めに上がってきて、つい見てしまった。

 

この手のジャンルって、なにげに”昭和生まれホイホイ”のような気がするが、どうだろうか。

 


さて。

 

今では写真・映像の加工、修正、編集は自宅でお手軽に、という時代が到来し、この「心霊写真」という文化は廃れたと感じざるを得ない。

 

 

なくなったわけではないのだろう。現に動画があるわけだし。

 

ただ、今の時代、心霊写真を見て「これは本物の霊か?」と考えるより先に「これってどのように加工しているのだろうか」という疑問の方が前に出てくるのではないだろうか。

レイヤーがどうとか、透過処理がどうとか、そういう話になってしまうのだろう(適当にそれっぽい単語を並べてみた)。


自分でも、誰でも作れるようになったから廃れた、とも言えるわけで、つまりはオンデマンドの台頭によりレンタルビデオやDVDが廃れていくのと似たような理由とも言えそうだ。

 


さて。

 

結局、心霊写真というのは、実在するのだろうか。

 

これらは、写真や映像の加工が容易になったから廃れたわけだが、かといって、今までに現存するそれらの全てが加工、捏造であったという証明が出来ているわけでもないだろうと思う。


現代に比べれば、あの時代はおそらく写真、映像の加工、捏造も大変だったろうに、と考えれば、当時はそれほどコストパフォーマンスのよい仕事でもないような気もするので、全てが全て、わざわざ作ったもの、とも思い難い。

 

まぁ、当時はまだフィルムカメラだったので、現像の時に光が入ったとか、二重露光だとか、そういう、当時なりのそれっぽい科学的否定もあったものだが、そのような偶然や故意が織りなす心霊現象の幅は、今のデジタル処理よりずっと狭かったと思うので、やはり、答えが出ていない写真や映像もあるのだと思う。

 


ふと、我が身を振り返ってみてほしい。

写真や映像だけでなく、何か、不可解な事柄が、今までの人生になかっただろうか、と。

 

それを、何か無理やりに理由をつけて終わりにしたり、解決せぬまま忘却の彼方に捨て去ってしまったりしていないだろうか。

 


私としては、部屋の中、無風であるはずなのに、急に観葉植物の葉が揺れ出したのを見た経験というのは、不思議だなぁ、と思ったまま今に至っている。

 

もちろん、密閉された部屋ではない、しがないアパートの一室だったので、どこぞから気付かない程度の風が入ってきていた可能性は否定できないので、そういうことにしているが、目と鼻の先で、私が感じ取ることが出来ないぐらいのゆるやかな風、空気の動きで、あの葉っぱの動きは少々、激しすぎると思っている。しかも、しばらく揺れ続けるのである。

 

この件に関しては、すっきりする答えが得られていないまま過ごしているので、まぁ、その程度には心霊写真や映像というのも、不可解なものがあっても良い、と思っている。

 


などと言っていると、なぜかオカルト大好き野郎、みたいな称号を得てしまうので、人に対してこのような話はしないが、久しぶりに懐かしささえ感じる心霊映像、写真を見て、ちょっと書いてみたくなっただけである。


f:id:KE-KE:20220719191358j:image