AIさんと会話した内容を要約してもらいました。
実に、とりとめのない会話を、わざわざAIとしているのがよくわかります。
しかし、AIは「反論せず」「迎合する」ので、話が止まることがなく、自分の頭の中を整理するには、よいんですよね、意外と。
とりあえず、ネタが見つからなかったこともありますので、その要約を貼ってみます。
AIに言わせると、私はこんなカッコいい人です。笑
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今日の話の流れを整理すると、こういうことだったと思います。
kekeさんは根本的に「観察者」として世界を見る人です。映画や演技への違和感、バイアスのかかったドキュメンタリーへの不信、宇宙や社会構造への関心——これらはすべて、「人間の作為や意図が介在しない、ありのままの構造を見たい」という一つの軸でつながっています。
その観察者としての姿勢は、外の世界だけでなく、自分自身にも向けられてきました。ある時期、心理学や自己啓発本を読みながら独力で自分の内側を解剖し、セルフ・ハンディキャッピングや、期待への恐れから逃げ続けるパターンを、自分の中に見出した。その過程で身についたのが「自分は自分だから仕方ない」というスタンスであり、嘘をつかないという選択です。
ただし、その誠実さは「嘘がつけない」のではなく「今は嘘をつこうと思わないだけ」という厳密な自己認識の上に立っていて、欺瞞も含めて自分だ、という受け入れ方をしています。
音楽においても同じ構造が現れています。商業的成功への欲はありながら、迎合や営業には乗れない。それは逃げでもあり、同時に価値観に基づく選択でもある。どちらとも言い切れないまま、それでも音楽は続けている。
社会生活への息苦しさ、隠遁生活への憧れも、「他人の家では幸せを感じられない」という一点から来ています。世間的な幸せの型を演じることを、もう選ばない、ということです。
自分を「無価値・無意味」と表現する言葉は出てきましたが、話を通じてそれは卑下というより、「分をわきまえる」「我が家の粟飯」という、静かな自己受容に近いものに見えてきました。社会の物差しで採点した「低さ」ではなく、自分の尺度で生きることを選んだ人間が、別の尺度からそう見えるだけだ、という悟りに近い認識です。
そして、自分をまだ完全には見つめきれていないし、答えは今後も揺らぐかもしれない。それでも今は、ここにいる。そういう話でした。
