自分の中で、父親というのは、ひとつの指標です。
父親は専門的な分野で、多くの人の役に立っていた、と、息子の私からは見えていて、目標のようでもあり、ひとつの「男性像」でもあります。
ただ、私は父の能力を引き継がす、特に「やる気」とか「努力」などは全く受け継ぎませんでした。
なので、時々ここでも愚痴っているように、私は専門的でもない、誰にでも出来る仕事に就いており、世の中の人のため、というより、自分の生活や、社内に限られた狭い範囲の何かのために働いています。
そんな、自分にとってはひとつの「形」である父ですが、父の人生は、幼少の頃に今の家、土地に引っ越して、生涯をここを拠点に過ごしました。
学生時代は近くで一人暮らしだったようですがね。
まぁ、我々以上に「家を継ぐ」とか、長男だから、とか、そういうのがうるさい時代でしたからね。
本人の意思とは関係ない部分での強制もあったかもしれませんが。
なので、適切な言葉かどうかはわかりませんが、父親も私も、土着民です。
あ、父は引っ越して土着。私は、生まれた時からここ。
二人とも職場は外にありますが、我々の生活というのは、常にこの狭い範囲にあります。
私も、外で暮らしたことはありますが、近隣と言える範囲ですからね。異文化に接した、とまでは言えません。狭い範囲内のことです。
結局、人の営みはそういうものなんだ、と、思う自分がいます。
外に目を向ければ、世界を見て、広い世界で生きる、活躍することを目指す生き方がありますし、そのように啓蒙する情報もあります。
私も、若い頃はそんな機運に乗り遅れないようにどうすべきか、なんて考えたこともありましたが。
結局、努力嫌いですからね。こういう人間はせいぜい「不幸にならないための努力」が精一杯で、基本は、楽に現状維持、が主義なんでしょう。
不幸にならないための努力にしても、だいぶギリギリで始めますから、まぁ致命傷に至っていることもあるわけで、それでいて今の生活があるなら御の字とも考えることができるな、と。
狭い範囲で生涯を終えるのは嫌だなぁ、と思っていた頃もありましたが、人にはむしろ、そういう人生を求める人がおり、少なくとも私の本質はそちら側なんだな、と。
そんな自分をしっかり把握し、しっかり土着民したいと思うのです。
