自分の存在は、客観的に見ると、父に比べて社会的重要度が劣っています。
父は手に職を持ち、多くの人の幸せに貢献しましたが、私はその逆で、手に職はなく、自分の生活のためにだけ、働いています。
自分の本来の、潜在的なスタンスはおそらく、仕事をする、というのはコストとしか考えておらず、生活が安定するならまず、働きたくないんだと思います。
働かずに何をするのか、というと、あまり生きることに意味や意義を見つけようとしませんので、ただ息をして、ご飯を食べて、寝て、を繰り返して過ごすんだと思います。
なんですかね、そういう自分がいけない!といった、自己嫌悪とか、焦りや劣等感ではなく、そういう人種もいるんだ、という、自分を振り返っての発見、という意味で書いています。
なので、私はまだ就労世代ですし、そのゴールは年々後ろ倒しになっていますから、あと何年働くのだろう、と考えると、憂鬱になってしまいます。
どうせ働くなら楽しくとか、意欲を持って、大義を持って働いたほうが良いだろう、という感想はあります。コストと考えて働き続けるのはつらいですからね。
ただ、それが簡単に出来るなら、人生で悩む人はぐっと減り、心療内科も混み合わないはずですね。
私は、一時期、燃え尽き症候群みたいな感じになったと自覚していて(医者にかかったわけではない)、そこでそういう自分を改めて認識したし、すると今までのような働き方には戻れず、イマドキの言葉で言えば、ワークライフバランスを重視するようになりました。
ただ、家族と過ごしてそれを大事なことと位置付けると、今度はそれを維持するために働き続けねば、という気持ちが芽生えてくる。あ、これはコストとしての考えに変わりはないけれども、という話です。
私のような人間は、働き続けることは、傷つき続けることだと思いますし、仕事への思いはどうあれ、仕事によるストレスというのは人生のなかで主要な位置を占める負荷だと思いますし、それにより健康寿命、本当の寿命を縮めてしまう人もいる、と考えれば、どの選択が自分にとってのベストなのか、まだまだわからないなぁ、と。
いつも気付きが人より遅い私ですので、いまさらそんなこと言ってんの?と言われかねない悩みを胸に、悶々と満員電車でもみくちゃにされる日々を送っています。
