念というものは怖いなぁ、と、最近思うことがありました。
先のブログでも触れたかもしれませんが、ごく身近な人の念によって、多くの人が振り回された、という話です。
念の恐ろしいところは、その内容がどうということは問題ではなく、ただひたすらにその思いの強さが、そのまま毒気になるところではないでしょうか。
なので、齢をとって何かに固執するようになると、念は生まれやすくなるんだな、と思いますし、また老害と言えるような、年齢から来る偏屈さもそこに上乗せになりますので、そりゃ厄介てすし、ぶっつけられたら、たまったものではありません。
そう考えると、これも先のブログで書いたかも、ですが、もののけ姫の冒頭に出てくる神様は、概念がわかりませんが、もしかすると齢から来る執着や妄想があり、暴走が止められなくなった果てなのかもしれません。
まぁ、それぞれを「民族」として見れば、その長老、ということになりますかね。
話は違いますが、それほどの昔になると、衰えた王を排除し、若い王を立てることで民族全体の勢いを取り戻し、若返り、再生を行うなんてことも聞いたことがあります。
一節には、その理屈により卑弥呼は◯されたのだとか、そんな話も聞きますね。
さて。
そう考えると、政治の世界なんてどれだけの念が渦巻いているのやら、考えたくもありません。
もともと思い、念が強く、バイタリティのある人たちで、それがあの年齢層なわけですから、恨みだの羨望だのが渋滞しているんでしょうなぁ。
だからですかね、政界に限らずですが、そういう人たちはけっこう、スピリチュアル的にサポートしてくれる人をそばに置くとか置かないとか。
さて。
実際に今の政界を覗いてみると。
大いなる「うねり」があるようで、それもまた「根っこ」「出どころ」があるようです。
これは、果たして妄執からくる念のトグロなのか、広く全体を見渡したうえでの理論的な「策」なのか。
新たな政権を今後も眺めていれば、それは自ずとわかってくるのでしょう。
